文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

人生と拘りのバランス

〜世界は恐ろしいほどに相対的である〜

 

目次

 

 

結局日記を書く宣言をした日に日記を書かなかった。

 

人生、生きていればそんな日もある。

 

そう思えれば、人生はとても簡単なのだろう。

 

という訳で、今日のテーマは拘りについてである。

 

このテーマにした理由は、パッと思いつかない。

 

少し考えてみたが、やはり思いつかない。

 

じっくり考えてみたが、結局思いつかなかった。

 

 

こだわりとは

こだわりとは 星が降る夜と眩しい朝が

 

繰り返すようなものじゃなく

 

大切な人に降りかかった

 

雨に傘をさせることだ

 

 

こだわりとは2

AI「『こだわり』とは、自分が大切にしている価値観や信念に強く固執することを指します。」

 

なるほど、私が思い描いていた定義と、一字一句同じである。

 

ところで固執という言葉はポジティブなものなのだろうか、ネガティブなものなのだろうか。

 

 

AI「自分の理想や美学、品質基準などに対して妥協せず、細部にまで注意を払う姿勢を表します。」

 

なるほど、私が思い描いていた説明と、一字一句同じである。

 

ところで理想と美学と並列で品質基準という無機質な言葉が並ぶのは、をかしなのだろうか。

 

 

AI「例えば、職人が製品を作る際に素材や技術にこだわることで、品質の高いものが生み出されることがあります。」

 

なるほど、私が思い描いていた具体例と、一字一句同じである。

 

ところで、生み出されることがあるというのは、品質の高さを生み出す理由は他にもあるのだろうか。

 

 

AI「また、個人のライフスタイルや趣味、仕事においても、自分なりの基準を持ち、それにこだわる人がいます。」

 

なるほど、今の私の状態と、一字一句同じである。

 

ところで、一旦仕事を離れた定義が、なぜまた仕事に戻ってきたのだろうか。

 

 

AI「こだわりは、いい意味で使われることが多いですが、時には過度にこだわりすぎて柔軟さを欠いてしまう場合もあります。」

 

なるほど、今までのそしてこれからの私の人生と、一字一句同じであろう。

 

 

拘り方について

ここは拘りたい、ここはしっかり拘っていこう、などという注意喚起がなされることがある。

 

よし!と感化される方も多いだろう。

 

しかし、私は拘るときにもっとも重要なものは「具体性」であると考える。

 

裏を返すと、ただ漫然と拘るのは、果たして拘ると言えるのだろうか、となる。

 

拘る際には、しっかりと基準を設け、その基準が遥か遠くに見えなくなるほど結果で示す。

 

いささか具体性には欠けるものの、私は拘るときには上記のことを意識している。

 

 

拘りがある人

拘りがある人、と言われると、融通が効かない人、真面目すぎる人という印象を受ける。

 

私はよく拘りが強いと言われる。

 

しかし、こだわりは、その人の精神活動における最強の個性であると考える。

 

特に日記などで表現をするときに、もっとも大事なのは拘りであろう。

 

これはAIさんの言っている通り、趣味でも重要であろう。

 

私は好きなことをすることが趣味だとは考えない。

 

自分なりの拘りを持つことこそが趣味であると考える。

 

昨日もゴルフの打ちっぱなしに行ってきたが、ゴルフ練習場にいる人は須くスイングに拘りを持っているべきである。

 

 

拘りの中身

最近、ふと虚無感に襲われる。

 

ポジティブにいえば諦観のようなものにもなろう。

 

ふと拘りとは何か?と考えたときに、そこに中身はあるのかと思ってしまう。

 

これを新虚無主義と名付け、拘りを授けようと思う。

 

拘りとはすなわちバランスのことではなかろうか?

 

あの人はお酒の飲み方に拘りがある、というのは、お酒の飲み方は普通のバランスではないと言えるのではなかろうか。

 

であれば拘りというのは、単なるバランスの失調となる。

 

バランスの最上級は、バランスが取れている状態であろう。

 

であれば、拘りの最上級も、拘りがない状態であるといえよう。

 

また、拘りが強い人ができるのは、拘りが弱い人がいるときである。

 

世界は恐ろしいほどに相対的である。

 

そしてこの考えはほとんど全ての形容詞に当てはまるだろう。

 

虚無主義の世界に形容詞は存在しない。

 

それはそれは美しい世界である。

 

 

拘りとともに生きる

バランスが取れている状態とはどんな状態なのか。

 

とても難しい。

 

極めて透き通った人間であろう。

 

しかし極論ではあるが、バランスを乱すことこそ生きることとはいえないだろうか。

 

であれば、我々が生きるのは、拘りを持つためといえよう。

 

 

拘り社会

AIさんの説明で価値観という言葉が出てきた。

 

近年重宝されているものである。

 

その意味で、今日の日記も一つのこだわりとして受け入れられれば嬉しいと思う。

 

しかし、受け入れられるべきだ、と考えたときに、拘りは猛毒になるのだろう。

 

 

最後に

今日も思いつくままに文章を書いた。

 

思いつくことをそのまま書くのはいいことであり、ストレスの発散にもなる。

 

しかし、もっと真面目に書くべきなのではないかとも思う。

 

私の最近の日記に欠けているのは、拘りであろう。

 

 

本日も読んでいただいてありがとうございました。