文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

AIと宗教の融合:未来の神AIへの到達

〜AIの中心でAIを叫ぶ〜

 

 

日記を書かなすぎてやばいと思っていた。

 

最悪でも11月中にもう一日くらいは日記を書くだろうと思っていたが、書かなかった。

 

世の中は甘くない。

 

自動で日記が書ければいいのにと思う。

 

そんなこんなで、今日のテーマはAIについてである。

 

理由は、特にないことはない。

 

ただし、本日の内容は少し宗教的な話になる。

 

どの宗教がいいとか悪いとかという思いはないが、不快に思われる可能性があるため、念のため先に断っておく。

 

 

 

 

 

神社と仏閣について

最近、巷ではスピリチュアルが流行っているらしい。

 

思えば、数年前からパワースポットという言葉も流行っているような気がする。

 

昨日、テレビの番組でお寺と神社について触れられていた内容に心を打たれた。

 

それは寺院の建築様式によるものであった。

 

おそらく仏教系の建物の屋根組についての話であったが、その中でこのように言っていた。

 

このような立派な建築は寺院の特徴である。

 

神社ではできなかっただろう。と。

 

思えば、神社は自然に寄り添ったものであり、荘厳な建築は無いように思う。

 

これは極めて大きな気づきであった。

 

キリスト教も素晴らし建築が、ヨーロッパの街の至る所にある。

 

そう考えると、神道の建築というのは、極めて異端なのかもしてない。

 

 

スピリチュアルにハマ人

では、どんな人がスピリチュアルにハマるのか?

 

私の考えでは、二つある。

 

一つ目は、自分ではどうしようもできない大きな困難に見舞われたときである。

 

いわば、正解とは何か、正しさとは何かがわからなくなったときである。

 

二つ目は、自分で判断をしたくないときである。

 

一つ目と似ているようで、少し違う。

 

これは、ある種の責任逃れである。

 

自分で判断したのであれば、自分の行動に責任を持たなければならない。

 

世界は専門性が著しく向上している。

 

もはや、自分の判断で負える以上の責任が降りかかる判断を、日々強いられているのである。

 

 

透き通ったAI

ここでやっとAIが出てきた。

 

AIは誰が生み出したのか?

 

これは科学者であろう。

 

もっとも、私はAIが何なのか、いまいち理解していない。

 

さらっと言ったが、これは極めて重要なことである。

 

今日、もっとも言いたいことを、大きく振りかぶって言う。

 

AIも立派なスピリチュアルであると。

 

 

スピリチュアルの定義

スピリチュアルの定義をAIに聞きたいが、今日のテーマがテーマだけにあえて聞かない。

 

個人的に、スピリチュアルとはある種の盲目的な信仰である。

 

AIには、科学的なものである、というわけのわからない抗弁が成立する。

 

科学的なものなので、盲目的なものではないと。

 

科学的なものなので、スピリチュアルのような根拠のないものではないと。

 

誰かがしっかりと考えたものであると。

 

では聞きたい。

 

そもそも科学的とは何なのか?

 

あなたは、科学的な思考を理解しているのか?

 

少なくとも、私は理解していない。

 

そして私は、科学的に証明されている、と言った類の言葉を、盲目的に信用しない。

 

 

我々がAIに期待すること

では、我々はなぜAIを渇望するのか?

 

それは、AIに聞けば、正解を教えてくれるからであろう。

 

そうなると、私には今の社会がAIに対する盲目的な信仰で溢れているようにしか見えない。

 

 

人間と宗教

そもそも、私は歴史が苦手である。

 

そんな中でも思うのは、これまでの日本史や世界史の出来事は、常にスピリチュアルの隣にいなかっただろうか?

 

例えば古代エジプト神話はスピリチュアルの塊である。

 

卑弥呼もスピリチュアルの代表であろう。

 

そう考えると、人間にはそもそもスピリチュアルな要素が必要なのである。

 

そうでなければ、何が正しいかがわからず、我々は何も行動できなくなる。

 

 

全知全能の神AI

前述したように、AIもスピリチュアルなものである。

 

では、これまでの歴史で登場してきたものと何が違うのか?

 

それは、おそらくAIはあらゆる宗教の考えも踏まえて判断することであろう。

 

また、資本主義大国アメリカやヨーロッパ、中国や日本、そしてインドもハイテク国家である。

 

そういった国でもAIは受け入れられるだろう。

 

これらの宗教的判断とAIが食い違ったときに、どうなるのか?

 

それぞれの神格化された存在とAIの全面対決になるかもしれない。

 

 

科学を勉強した神様たち

一方でAIはよくわからない柔軟性も持っているように思う。

 

極めて抽象的な話になるが、AIと各種の神格化された存在は同時に成立する可能性もある。

 

言い換えると、神様がAIを従属関係に置く可能性があるということである。

 

勢至菩薩の横あたりにAI菩薩が話を聞いているのかもしれない。

 

最後の晩餐の端の方で、AIがインスタライブを行なっているかもしれない。

 

このブログでよく出てくる話であるが、時間は巻き戻せる。

 

そうなると、神様にとって未来から科学を持ってきて取り入れることなど、容易であろう。

 

 

AIが神様になるには

村社会がなくなり、傍目を気にする必要がなくなった。

 

これは我々が自由になったことを意味する。

 

同時に、何も考えずに周りに合わせるという、極めて簡単な正解が失われた。

 

今後、終身雇用等が崩壊したとき、これまでとは比較にならないほどの強い神様であるAIが誕生する。

 

何が正解かわからなくなったとき、我々は今以上にAIに頼るだろう。

 

全員がAIの判断は正しいと疑わなくなったとき、AIは盲目的な信仰の中心に君臨する。

 

お金も、科学も、自由も、全てを統べた神様となる。

 

世界の中心でAIが叫ぶ

 

 

最後に

では我々は何をすればいいか?

 

考え続けることである。

 

AIに逃げないことである。

 

案外、デカルトの我思う故に我あり、というのはそういうことかもしれないし、違うかもしれない。

 

AI教に入信したとき、我は思わなくなり、我でなくなる。

 

 

本日も読んでいただきありがとうございました。