文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

時間旅行について〜後悔など存在しない世界〜

〜今日できることを明日に回せば、明日は今日の風が吹く〜

 

 

 

最近はそこそこ忙しく仕事をしていた。

 

しかし、この大寒波のおかげで、いろんなことがリスケになり猛烈に暇である。

 

そんなわけで、久しぶりに科学的なことでも考えようと思う。

 

もちろん、乗り気ではない。

 

風が強く、家が揺れている。

 

 

速度について

かねてより述べていることだが、速さにもっとも必要なものは、幅である。

 

これは、どれだけ移動したかではなく、どれだけの時間でどれだけ移動したか、が速さだからである。

 

そうなれば、当然に速さには時間的な幅が必要になる。

 

となったときに、なぜ光の速さは一定なのかというのは、当然の疑問といえよう。

 

ちょっとぐらい、速さにむらがあっても良いではないか。

 

 

光には速度がない仮説

最近私の中でもっとも議論されている論点が、光の速さである。

 

結論から言うと、光には過去も未来もないのではないかという仮説である。

 

詳しくは、光の二重スリット実験を参照してほしい。

*私はざっと見ただけで理解はしていない。

 

 

動画編集について

おかしなテーマになった。

 

しかし、もっとも言いたいことがこれだ。

 

我々は過去に戻ることができない。

 

よって、撮影した動画で例える。

 

撮影した動画は再生することによって、過去を追体験できる。

 

3Dでかつ嗅覚刺激も再現できる録画装置が完成すれば、我々はもはや過去に行けると言っていい。

 

撮影した動画で言えば、編集することで過去を変えることができる。

 

これは私の中で、極めて特異なことである。

 

 

過去と未来の違い

我々はなぜ過去と未来を分けられるのか。

 

それは、過去のことはある程度わかるが、未来のことはわからないからであるといえよう。

 

もう少し変なことをいう。

 

我々は誰しも、生まれて死ぬという順番に、一才の疑問を持たない。

 

昔、ベンジャミンバトンという、年寄りの状態で生まれて、若返って死ぬという映画があった。

 

問題は、私がその映画を見ていないことだ。

 

しかし、死んだ状態から、生まれるという流れでもいいはずである。

 

念の為断っておくが、これは輪廻とか異世界転生とかという話ではない。

 

生まれるのと死ぬのはどっちが先ですか?と言われたときに、当然に生まれるのですと答える必要がないということである。

 

 

未来の定義

我々は、未来というものを先がわからないものというニュアンスで捉えるだろう。

 

つまり、我々はまだそれを体験していないから、未来のことだと。

 

しかし、そんなものは生物以外のものにとってみれば、極めて瑣末なことではなかろうか?

 

例えば、宇宙の誕生と終焉が同じ形をしているのであれば、そこに生も死もない。

 

それは純再生なのか、逆再生なのかもわからない。

 

ようやく、本題に戻る。

 

 

時間から解放された光

例えば、今日の日記も、後日修正するかもしれない。

 

では誰がどんなときに修正するのか。

 

これは、私が私の気分に従って修正するのである。

 

全て消すかもしれないし、順番を入れ替えるかもしれない。

 

私はこの日記の時系列を自由にいじることができる。

 

同じように、光も、過去と未来を自由に行き来しているのではなかろうか?

 

光はどこからどこへ行くのではない。

 

その時の気分によって、どの空間にも、どの時間にも行き来できるのではなかろうか?

 

そう考えれば、二重スリット実験の結果にもうなづける。

 

光は過去と未来を自由に行き来できる。

 

しかし、自由に行き来できない我々は、我々が観測したときに光がどっちにあったかしかわからない。

 

そう考えると、光が持たないのは、質量ではなく時間ということになる。

 

逆に、質量がなければ、自由に時間を行き来できる可能性がある。

 

 

どこでもドアの本質

以前の日記で、どこでもドアの本質は交通手段だと言った。

 

換言すれば、どこでもドアがある世界では、飛行機も自動車も電車もない。

 

それは奇妙な静けさだった。

 

例えば自動車たちは、一体どこへ行ってしまったのか。

 

人々は当惑し動揺して電車たちのことを話した。

 

僅かに見かける飛行機は、生きているというよりも死んでいるようで、激しく震えて飛ぶことはできなかった。

 

それは、沈黙の春であった。

 

 

どこでもドアの構造

以前、分子レベルで人体を分解し、そこらへんの分子をくっつけて、別のとことで再構築すれば、どこでもドアは簡単にできるといった。かも。

 

しかし、これは同時に、容易に我々のコピーが作れるということでもある。

 

そうなれば、私のコピーをたくさんつくって世界にばら撒けば、幾つもの私が同時に存在することになる。

 

過去のデータをとっておけば、タイムトラベルもできる。

 

いろんな記憶を持った私が存在し、私はいよいよ過去と未来を超越する。

 

私は光になれる。

 

 

最後に

最近理系の本を読んで無さすぎるので、私の科学力が著しく低下している。

 

勉強不足のツケが祟っている。

 

明日から少し勉強でもしようかな。

 

まあ明日は明日の風が吹く

 

今日できることを明日に回せば、明日は今日の風が吹く。

 

読んでいただきありがとうございました。