〜生産性の一番のブレーキは、徒労という名の免罪符である〜
目次
今日は一つのテーマで話すよりも、最近考えていることをざっと羅列したい気分になった。
よって今日は、何かしらの思想を深めるよりも、思想の種をばら撒くことになる。
もし興味があるものがあれば、考えてもらいたい。
ちなみに、最近は暖かいが、明日からはまた寒いらしい。
聖徳太子について
最近もっとも考えていることは、聖徳太子がいたかどうかということである。
このテーマにはいくつかの論点がある。
まず、何をもって「いた」とするかである。
過去のことなど誰にもわからない。
よって、聖徳太子がいたかどうかを決めるのは、今の人間である。
どれだけの証拠が集められるかが肝になろう。
であれば、証拠がなければどうなるのか?
不明となる。
しかし、私から言えることは一つで、聖徳太子は「いた」か、「いなかったか」のどちらかである。
おそらく聖徳太子は半分だけいたということにはならないだろう。
例えば、今年の大河ドラマの蔦屋重三郎もいたかどうかわからない。
1000年後の日本人が、今日の大河ドラマを持って、蔦屋重三郎はいたと判断するかも知れない。
同じように、横浜流星という人間はいたのかという問題もある。
彼が本名なのか芸名なのかはわからないが、芸名であれば尚更である。
正味な話、古畑任三郎はいたのか?と同じようなニュアンスになる。
ようは、聖徳太子がいたのかどうかというのは、そこまで重要なことではなくなる。
よって、この話はここまでとしよう。
本当は他にも論点があったのだが、後日にまとめようと思う。
「かわいい」という感情について
先日、普通にスルーしたが、今週のお題が「かわいい」に関すること、のような感じであった。
その説明文の思想が思ったよりも強かったため、衝撃を受けた。
詳しい内容は覚えていないが、かわいいという感情は余裕が必要、という要旨だったと思う。
思えは、最近余裕がない私は、かわいいと思うことが全くない。
であれば、かわいいという感情の本質はなんなのか?
これは、お題の説明文の通り、かわいいと感じる側の余裕であろう。
例えば、常に怒鳴り散らかしている私の上司も、私の心に余裕があればかわいいとなるのだろう。
にわかには信じ難いので、明日、その上司をかわいいと思えるか試そうと思う。
しかし、明日は月曜日なので、当然に余裕がなく、かわいいと思えるかという検証のことすら忘れてしまうのだろう。
では、私自身が私自身をかわいいと思える時はあるのか?
言い換えれば、私自身に余裕があれば、周りのものはなんでもかわいいと思えるのだろう。
この時、周りのものに私も含まれるのであろうか?
そもそも、かわいいという感情はいったいどういうものなのだろうか?
という、悲しきモンスターのような結論になってしまう前に、この話はここまでとしよう。
生産性について
最近、生産性という言葉をよく聞く。
個人的には、分母がコスト、分子が成果物であると考えている。
よって、生産性を上げる方法は2つで、成果物を多くするか、コストを削減するかである。
一般的に、成果物を多くするのは難しいのだろう。
であれば、コストを削減することのほうがよっぽど実現できるのだろう。
ちなみに私は、コスト削減に関しては、若い人ほど感度が高いと考えている。
昨今の若者は、恐ろしいほどにコスト管理に厳しい。
いったい、コストに何をされるとそうなるのだろうか?
この先少し話が逸れるので、別の章に移る。
よって、この話はここまでとしよう。
仕事の速さについて
仕事が早い人と遅い人がいる。
よくこんな分け方がなされる。
私はもう1軸追加して考えている。
それは、仕事が丁寧か雑かである。
ほとんど同じ意味なのだが少し違う。
仕事が早くて丁寧なひと、仕事は遅いが丁寧なひと、仕事は速いが雑なひと、仕事が遅くて雑なひと。に分けられる。
新入社員は当然に仕事が遅くて雑である。
かわいそうなので言い換えてあげると、無垢なのである。
仕事が早くて丁寧な人は、もはや達人の域である。
重要なのは、仕事は遅いが丁寧な人と、仕事は速いが雑な人の位置付けである。
私の見解では、仕事は速いが雑な人の方が、貴重である。
これは日本人が結果を重視するか、過程を重視するかという、大きな問題まで遡ることになる。
またまた私の見解になるが、日本では基本的に結果が重視される。
しかし、結果が芳しくなくても、過程で頑張っていれば許してあげようという、「お情け」という文化がある。
よって、仕事が遅い人はこの「お情け」を獲得しに行くのである。
逆に言えば、仕事が早い人はこの「お情け」なんていらない。と考えられる人である。
よって、結果を求める。
注意して欲しいのは、仕事が遅いが丁寧な人が、そのまま仕事が早くて丁寧になることは難しいということだ。
必ず、この「お情け」を使わずにどれだけ仕事ができるかを試される。
日本で言えば、その多くは管理職になった時であろう。
逆に、管理職になりたいのであれば、失敗がゆるされる若いうちに、「お情け」を使わない働き方を試しておいた方がいいだろう。
興味深いのは、この「お情け」というのが、「結果論」の特効薬として成立している現実である。
かねてより私は「すべての現代人は、時間の矢面に立たされている」というようなことを言っている。
結果というものを、未来のものと捉えると、当然にどうなるかわからない。
しかし、結果というものを過去のものと捉えると、当然にそうなるに至った過程が大事である。
この二つの結果に、新しい名前をつけてあげたいが、パッと面白い名前が思いつかないため、この話はここまでとする。
ダイエットについて
1月に8キロほど痩せたが、2月に入ってから全く体重が変わらなくなった。
そのため、昨日今日と炭水化物をかなり摂取した。
明日からまた、糖質を制限するが、体重が落ちてくれればいい。
深い話は全くないので、この話はここまでとしよう。
センスについて
最近、岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」という本と、千葉雅也さんの「センスの哲学」という本を合わせて読んだ。
センスがなんなのかについてふわっとわかった。
しかし、センスの良いものをどう生み出すかについてはよく分からなかった。
きっと、生み出した物の中から、センスのいい別の誰かが、なんらかの形で見出してくれるものなのだろう。
こうして発掘された「初物」は、その人のセンス自体のオリジナリティで溢れており、極めて価値が高いのだろう。
いずれにしても、この2つの本はとても面白く、続きはぜひ本を読んでいただきたいので、この話はここまでとしよう。
最後に
最後に今日のまとめをしたかったが、すでに文章が長くなってしまったため、やめておこう。
本日も読んでいただきありがとうございました。