文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

どこでもドアについて〜世界はどう変わるのか〜

今日は寒かった。

しかし、仕事終わりに図書館で勉強もしてきたし、充実した1日だったと言えよう。

唯一心残りがあるとすれば、散歩に行かなかった事だ。

 

今日のテーマは「ドラえもん」であった。

ドラえもんがやってきたら、世界はどうなるのか?

便利な道具で、快適な生活が送れるのだろう。

 

ただし、人工知能もそうであるが、進化しすぎた科学技術は、脅威でもあるのだ。

 

ここからの妄想は、ドラえもんが各世帯に1台ずつあるような状況を前提としている。

 

 

まずはじめに、もしもボックスがあれば世界はどう変わるのか?

 

もしもボックスがあれば、大半の人はもしもボックスを使うだろう。

そして、自分が誰よりも優れており、お金もっており、誰からも認められ羨ましがられる、そんな世界を望むだろう。

 

ここで問題になてくるのは、その世界に、他の人が存在しうるかと言う事である。

 

もしもボックスについて、そこまで詳しくないが、それぞれの人がもしもと思っただけ世界がある、いわゆるパラレルワールドのような構造であったとする(*パラレルワールドの定義もあやふやである)。

そうなった時に、例えば皆さんは、私が誰よりも優れており、お金を持っており、誰からも認められている世界に、エントリーしたいと思うだろうか?

 

そんな人は、おそらくいないだろう。

 

となったときに、もしもボックスで叶えた世界で目の前にいる人は、血の通った人間なのだろうか?

 

自分の都合だけで作った、架空の人ではないのだろうか?

 

それは、とんでもなく孤独なことではないだろうか?

 

独裁者スイッチと、さして変わらないのではないか?

 

 

 

次に、どこでもドアがあれば、世界はどう変わるのか?

 

まず前提として、自動車産業、航空産業、鉄道業、貨物等の運送業は全滅である。

観光業が栄えるかもしれないが、自宅から観光地へ直行できて、当然その日のうちに自宅に帰ることができるので、ホテル等の宿泊業も全滅であろう。

近くにあるコンビニエンスストアやチェーン店よりも、本場の料理を気軽に食べることができるので、これらの業界も全滅であろう。

 

これだけでも、果たしてどれだけの失業者が現れるのだろう。

 

ちなみに、どこでもドアがあれば、別にタケコプターの必要性を感じないので、タケコプター専門店も廃業するかもしれない。

 

 

少し、大きな話をしたい。

 

魔法と科学は何が違うのか?

 

魔法とは、物理法則等の原理には背くが、人間が想像できる現象である。

魔法の向こうには、人間が想像出来ていない、「名前のついていないもの」がどこまでも広がってる。

 

科学とは、現象が説明できており、再現性があるもの、およびその周囲のものをいう(と私が勝手に考えている)。

 

魔法の原理を、物理法則で解明し、再現できれば、それは科学になる。

 

その意味で、ドラえもんは、科学的な存在なのだろうか?

 

それとも、魔法使いなのだろうか?

 

それとも、そんなことはどうでもいいのだろうか?