〜見た目は子供に異論はないが、頭脳も17歳であることを忘れてはならない〜
「みんな、用意はできているか?」
「ああ。」
「今日は金曜日だ。」
「ああ。」
「盛り上がっていくぞ。」
「よしっ!」
という会話が、朝早くから私の頭の中で行われた。
「ようやく一日の折り返しだ。」
「ああ。」
「お昼は前から気に入っていたなか卯の『旨辛親子丼』にしないか?」
「それはいい提案だ」
という会話が、昼休みのチャイムの少し前に私の頭の中で行われた。
頭の中のもう一人のボクの提案に従って、『旨辛親子丼』を食べた。
「仕事は終わりだ。」
「本当に終わったのか?まだやり残したことがあるんじゃないのか?」
「あるにはある。しかし、すでに今週の集中力は使い果たした。」
「ならば仕方がないが、仕事を片付けたほうが週末をリラックスして過ごせるのではないか?」
「心配には及ばない。どれだけタスクが残っていても、私は全く気にならない。」
という会話が、シャットダウンボタンを押すときに私の頭の中で行われた。
「今日もジムには行かないのか?」
「行こうとは思っているが、実際に行くかどうかはわからない。」
「どういうことだ?」
「未来は誰にもわからないということだ。フハハハハあ」
という会話が、日記を書いている今、私の頭の中で行われている。
今日のテーマは「エナジードリンク」である。
このテーマにした理由は、今まで秘密にしていたのだが、毎日16時ごろに一服がてらレッドブルを飲んでいるからだ。
私が子供の頃は、エナジードリンクという概念はなかった。
あったのは栄養剤またはドリンクであった。
「24時間働けますか?」という衝撃的なキャッチコピーで売られているものもあった。
今ではいろんな意味でコンプラに引っかかるだろう。
そう考えると、「翼を授ける」というのは極めて秀逸なのだろう。
仮に私がエナジードリンクを出すとすれば、どのようなコピーにするのだろうか?
色々考えたが、いいものは思いつかなかったので、今後テーマにしてしっかり考えたい。
ちなみに、今でも私の上司は、残業が濃厚になった場合には、差し入れとして「リポビタンD」を買ってくれる。
年配の方にとって、元気が出るのは「リポビタンD」の方なのだろう。
ちなみにちなみに、エナジードリンクは「炭酸飲料」であるのに対して、リポビタンDは「医薬部外品」という括りになるらしい。
詳しいことはわからないが、リポビタンDの方が効能があるような気がしてきた。
どちらの方が体に悪いかと言われれば、間違いなくエナジードリンクという印象があったが、考え直す必要があるのかもしれない。
〜ここで話題は大きく転換します〜
このように、実質的には同じものであるが、再度定義され直したようなものは多くあるように思う。
あくまで私見であるが、ノーベル経済学賞を受賞した『ブルーオーシャン』も定義のし直しと語呂の良さが大きいのではないかと思う。
まず議論しなければならないのは、「語彙力の低下」であろう。
北京オリンピックで、北島康介さんが「何もいえねぇ」といった。
当時の言葉でいえば、「思考停止している」という感じだろう。
しかし、今の言葉でいえば「語彙力が低下している」ということになるだろう。
どちらも言葉が出てこないという言葉であるが、前者は頭が働いていないという考えが前面に出ており、後者はアウトプット能力のみが低下しているとの印象を受ける。
もっとも、「語彙力」という言葉がキャッチーなことが流行の原因のように思う。
以前、食べ物の流行は「食感」によるという文書をどこかで読んだが、言葉の流行も「語感」によるものなのかもしれない。
話はずれるが、小説のタイトルも大きく変わっているように思う。
最近の流行は、タイトルが長いということである。
何となくではあるが、物語の世界観に触れられるような、ストレートなタイトルの本が増えたように思う。
深読みすると、タイムパフォーマンスを重視する現代の若者を意識しているのかもしれない。
これは、娯楽がたくさんある現代だからこそ、タイトルから個性をつけていかなければ中身まで見てもらえないと言うことかもしれない。
そうなると、私もこの日記のタイトルをもっとわかりやすいものにしなければならない。
〜ここで今日の日記のタイトルを必死で考えた〜
と書いたもののの、今に始まった事ではないかもしれない。
昔読んだ本に「葉桜の季節に君を想うということ」というものがあった。
2007年に発売されているようであるが、十分長いタイトルと言えよう。
あくまで私見であるが、タイトルに影響を与えたと(勝手に)思っている作品をいくつか挙げておく。
長くなったもので言うと、
「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」(2009年)
「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(2013年)
あたりであろうか。
タイトルがキャッチーなものとしては、
「世界の中心で、愛をさけぶ」(2006年)
「桐島、部活辞めるってよ」(2012年)
「君の膵臓をたべたい」(2015年)
あたりであろうか。
これは小説に限らず、音楽や映画についても言えるかもしれない。
タイトルがキャッチーで、しっかりと張られた伏線が回収され、その作品を代表するようなキラーフレーズが存在している。
そんな本でないと、売れないのかもしれない。
昨日までのボクであれば、今日の日記のタイトルは「キャッチーな話」となっていただろう。