文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

眼について〜目に優しい社会の実現〜

散歩に行くかどうかということを毎日記載していた。

そんなことはどうでもいいのではないかと思っていたが、冷静に考えてみれば、このブログで唯一の日記パートであり、本質であったようにも思う。

 

今日のテーマは「眼」であった。

 

生きていく上で無くしたいものはたくさんある。

 

個人的には、その中でも一番なくしたくないものが視力である。

 

私は、中学生時代から視力が低下し、今では両眼とも0.1以下になってしまっている。

しかし、今の時代、眼鏡やコンタクトを着けずに生活できる人はどれだけいるのだろうか?

 

そういう意味で、「眼」という部位は、現代社会でさらされる刺激に耐えられていないのではないかと思う。

 

「眼」の速やかな進化を期待するとともに、眼に優しい社会というものを、SDGsの中に組み込んでもいいのではないかと思う。

 

 

「眼」について思うことがある。

 

この世界ができた時から、世界は3次元であったと思う。(4次元以上のことはよくわからない)

 

しかし、我々の眼は網膜を通すため、基本的には2次元でしか世界を捉えられない。

 

眼を左右の2つにする事で、何とか距離感を得ることができるが、単体でも世界を3次元で捉えることはできなかったのだろうか?

 

神様に問い詰めたいところである。

 

 

また、眼は2つしかない。

 

そのため、前方しか見ることができない。

 

横や後ろにも眼があれば、振り返ることなく、360度を見渡すことができるのにと思う。

 

また、上や下にも眼がついていれば、自分の周りの全ての景色が見えるのにとも思うが、そうなった時に、人間はどんな形になっているのだろうか?球体の様な形になっているのだろうか?

 

これも神様に問い詰めたい。

 

 

さらに、眼は乾燥するため、瞬きをしなければならない。

 

瞬きをしている瞬間に、重要なことが起こってしまったら、どうしてくれるのか?

 

これも神様に問い詰めるしかないだろう。

 

 

最後に、昨今カメラの技術が向上している。

 

初めて4Kテレビを見た時に、本物を生で見るよりも、カメラを通した映像の方が美しいように見えた。

 

今後もカメラが進化すれば、花火を見るときに、全員が直に見ず、カメラを通して見るというシュールな光景が広がるのかもしれない。

 

 

「眼」についていろいろ述べてきたが、「眼」の周りの機器が充実してきているように思う。

 

今後暫くは、人体の主役は「眼」であろう。