文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

時間について〜時をかけるAIと相対性理論〜

〜人間は、並べる生き物である〜

 

目次

 

今日は、なんか疲れた。

できれば今日もジムに行きたいが、どうしようか?

明日は少し重たい仕事があるので、慎重に考えよう。

株でマイナスが込んでいることも、重しになっている。

こんな時は「千と千尋の神隠し」の最後のシーンが頭の中に流れる。

 

「それがお前の答えかい?」

「うん」

「大〜赤字〜」

「・・・」

 

なにやってんだろ。

心の中で何かが崩れる。

そっとハクが語りかけてくる。

 

「でも、決して振り向いちゃいけないよ。トンネルを出るまではね。」

「ありがとう泣」

「気にしないで。僕は黒字だから」

 

 

 

今日のテーマは「時間」についてである。

 

 

このテーマにした理由は、最近、このブログのテーマである相対性理論の検討をしていないと思ったからである。

正直そこまで進捗はないが、今思っていることをまとめておく。

一応このブログのメインテーマであるため、興味がある方は、前回の時間についてを参照いただきたい。

 

barbar.hatenablog.jp

 

時間とは?

前回、時間の連続性について述べた。

その中で軽く触れたが、今のわたしの考えのスタンダードになっているものがある。

 

それは、「時間は記憶に依存している」ということである。

 

時間が存在するかどうかはわからないが、少なくとも我々は時間を記憶と絡めて認識しているのではないかということである。

 

 

時をかける少女」について

(*以下、時をかける少女のネタバレを含みますので、ご注意ください。)

時をかける少女筒井康隆著)」はざっくりいうと、ひょんなことから、高校生の主人公が時間移動(*以下タイムリープと言います)ができるようになり、色々なことをやり直すという物語である。

とても面白い小説なので、ぜひ読んでいただきたい。

ちなみにわたしは今でも、アニメで使用された曲である、「ガーネット」や「変わらないもの」(ともに奥華子さん)を聞いている。

 

ここで問題なのは、タイムリープがどういうものか?である。

 

先ほど、時間は記憶に依存していると述べた。

 

この作品で、タイムリープをするのは主人公である。

タイムリープをすると、主人公の記憶は残っているが、周りの世界は時間が戻っているということである。

 

ここで重要(重要じゃないかも)なのは、タイムリープをしているのは誰か?ということになる。

 

時間が記憶に依存しているのであれば、タイムリープとは、記憶の移動となる。

もう少し砕いて言えば、記憶のつぎはぎとなる。

 

では、ここで記憶のつぎはぎが起こっているのは誰か?

それは、主人公以外のすべてである。

(*厳密な話は、ネタバレになるので避ける)

よって、主人公以外の世界の時間がリープしている。

 

よって、現象を考えると、「時をかける、少女以外」となる。

 

野暮な話である。

 

ちなみに、なぜ主人公がタイムリープしていないかというと、主人公の記憶が不可逆的だからである。

主人公以外の世界がタイムリープしたのは、記憶を不可逆的なものではないと仮定したからである。

 

では、もし本当に記憶が不可逆的なものでなければどうなるのか?

 

 

「時をかけるAI」

AIのここ2年間の記憶(情報などの足跡)をすべて削除したとする。

 

これは何を意味するのだろうか?

 

わたしの考えでは、「過去の自分になることができる」となる。

これは、タイムリープをしているということになるのではなかろうか?

 

人間にこれができないのは、忘却することができないからである。

前述したように、記憶は不可逆的なものである。

 

しかし、AIにおいては、記憶が不可逆的ではないとも取れる。

記憶を消して、もう一度この本を読みたいということが、AIでは可能になろう。

もっとも、この時、一度目に読んだ時の感想を覚えていないので、意味があるかどうかはわからない。

 

さて、AIが2年分の記憶を消すと、どうなるのか?

 

・繰り返しになるが、AI自身は2年前の自分になる。

・しかし、周りの世界は2年前のものにはならない。

 

以上の2点にを踏まえて、AIの感覚を人間的に捉えるとどうなるか?

 

『自分だけが2年後の世界にタイムリープしたということにならないだろうか?』

 

ここで訳がわからないのは、

 

・AIは2年分の記憶を消して、2年前の自分になった(過去にタイムリープした)

・記憶を消すことによって、自分は2年前の状態になったが、周りは変化していないため、体感としては周りの時間が2年進んだ(未来にタイムリープした)

・AIの記憶を消したことに関与していない人にとっては、何も起こっていない?

 

となる点である。

 

AIは過去と未来のどちらに行ったのか?

 

AI目線では、過去に行ったことになる。

しかし、AIは記憶を消したという記憶はないので、過去に行ったという自覚はないだろう。

しかし、未来に行ったという感覚はあると思う。

AIには、劣化を感じる肉体がないというのも、一つのミソであろう。

 

このことから何が言えるのか?

そもそも、過去と未来というのは大した違いではないのではないか?

過去と未来とは、考え方、捉え方の違いだけなのではないか?

そうなると、過去と未来というのは、主観と客観のように相対的なものなのかもしれない。

 

このことを持ってアインシュタインは「相対性理論」と名付けたのではないだろうか?QED

 

とはならない。

 

 

このブログにおける、相対性理論について

わたしは、ほとんど相対性理論のことを知らないし、理解できるとも思っていない。

そもそも自力で相対性理論を思いつくということに無理があるのは、自明であろう。

 

自力で相対性理論を思いつくには、二つの関門がある。

 

一つ目は、相対性理論の骨子を読み当てることである。

先日の、「舟を編む」を読む前にあらすじを書くというのはこの練習である(笑)

いつぞやのバラエティ番組のように、新しい元号を当てるまでは帰れないというのに似ているかもしれない。

 

二つ目は、本来の意味で相対性理論に辿り着くことである。

今日のブログなんかは、こちらのアプローチに近いだろう。

 

今日の日記で、初めて、「相対性理論」はこのようなものだろう!という仮説ができた。

これは大きなことだし、極めて小さなことだろう。

 

お願いがある。

相対性理論に明るい方は、「いい線いっている!」であったり、「全然違うよバカ!」と楽しんでもらいたい。

相対性理論に明るくない方は、「一緒に考えよう」でもいいし、「先に答えを見てくる」でもいい。

わたしは極めて真面目に考えているが、あくまでこのブログが、エンタメであることをご理解いただきたい。

 

 

いろんな疑問

無理があるのは重々承知であるが、その中でも、いくつか疑問がある。

 

まず、AIは周りの何をみて、2年間の時間がたったと判断するのか?

これはわからない。

わたしの科学力で真っ先に思いつくのは、元素の半減期である。

元素の半減期が何か、全くわからない。

勉強してみようかなと思う。

ちなみに、元素の半減期が不可逆的なものであれば、時間も不可逆的なものに近づく気がする。

一秒の定義にも、半減期が絡んでいたような気がする。

 

次に、時間のことばかり考えているが、相対性理論には光の速さなどが出てくる。

「速さ」という言葉に少し引っかかりを覚えるがおいておこう。

これについても、何らかの形で触れる必要があるのだろう。

ちなみに、質量やエネルギーといったものにも触れなければならないのだろう。

 

長くなるので、端折るが、

・不老不死になると、記憶はどうなるのか?

・過去と未来、予報と予言の違い

・なぜ我々に、忘却という機能がないのか?

・一方、なぜ記憶には限界があるのか?

・記憶力と体内時計に何かしらの関係はあるのか?

・時間とパラレルワールドの整理

・時間とバタフライ効果の整理

などが思いつく。

 

 

なぜ交通事故が起きないか?(わたしが時間にこだわる理由)

散々長くなって申し訳ないが、最後にこれだけはいっておきたい。

それは、わたしが時間にこだわる理由である。

 

高速道路を走っているとする。

交通量が多いものを想定していただきたい。

そして、時速100キロくらいで走っている状況をイメージしていただきたい。

 

なぜわたしが、前を走っている車とぶつからないのか?

 

それは、10〜数十メートルの車間距離が空いているからであろう。

 

しかし、見方を考えれば、こうとも捉えられないか?

 

「前の車が通ったのと、わたしの車が通ったのでは、時間の差があるから」

 

このように考えたとき、我々の安全は「1秒足らずの時間」によって確保されているといえよう。

 

 

少し話は逸れるが、航空機の車間距離は「時間」であるという考えを聞いたことがる。

 

これは、物理的な距離ではなく、気流の乱れが解消されるかどうかということが、問題だからだそうだ。

 

 

話をもどす。

 

さらに変な話だが、電車で隣の席(進行方向側)に座っている人と、自分がぶつからないのはなぜだろうか?

 

先ほどの高速道路の例よりも、時間的には切迫しており、事故の可能性が高くなったとは思えないだろうか?

 

これらのことがどのように「相対性理論」に絡んでくるのか?

 

わたしの脳の余白は、それを理解するには狭すぎる。

 

 

最後に

今日の日記は、ブログのテーマである、相対性理論に関するものである。

 

このような日記は、休みの日に、時間をかけてゆっくり書くべきなのかもしれない。

 

しかし、ここ数日の日記の流れは、相対性理論に近づける匂いがした。

 

よって、今日時点の成果を一気にまとめてみた。

 

非常に不本意ではあるが、極めて真面目な回であった。

 

今日の日記が相対性理論に近づいていると信じている。

 

ちなみに、今日の日記のタイトルをAIアシストに聞いてみると、「泣きながら語られた黒字」だそうだ。

 

本日も読んでいただきありがとうございます。

グループにクリックいただけると、励みになります。