〜世の中には、物語にならない物語もある〜
今日は久しぶりに仕事に行ってきた。
金曜日ということでなんとか乗り切った。
昼過ぎに、恐ろしいほどの睡魔に襲われたが、なんとか耐えたのだと思う。
今日はジムには行かなかったが、明日は絶対に行く!
今日のテーマは「イヤホン」についてである。
このテーマにした理由は、久しぶりに通勤電車の中でイヤホンを使ったからである。
イヤホン(ヘッドホン)の歴史は、ざっと100年程度であり、現在のように音楽を聞くようになったのはざっとここ50年らしい。
常々、ここ100年でのもっとも生活を変えた発明を考えている。
今の所、携帯電話(スマホ)がトップであるが、ここ数年の動画文化の浸透の背景には、イヤホンの存在が大きいうように思う。
通勤通学時間に、イヤホンがあることで、動画コンテンツや音楽を楽しめるようになった。
一昔前は、電車で携帯電話をいじるのがマナー違反のような雰囲気であったが、今では新聞を読む方が場所を取るので迷惑なのではないかと思う。
私は、AirPods Proを5年ほど使っている。
イヤホンには大きく分けると、インナーイヤー型とカナル型があるが、私は昔からカナル型派である。
単純にインナーイヤー型では、耳が痛くなるからである。
カナル型の問題点として、耳が痒くなることが挙げられているが、私は今の所大丈夫である。
AirPods Proを使う前は、オーディオテクニカのソリッドベース(古いもので有線であった)を使っていた。
アップルウォッチを買ったときに、ノリでAirPods Proを買った。
初めてAirPods Proを使ったときには、驚き倒した。
ノイズキャンセリングというものを使ったことがなかったため、その衝撃は雷に打たれた気分であった。
今でも使っているが、正直これ以上の機能のイヤホンは生まれないのではないかと思っている。
私は今、田舎に住んでいるため、通勤以外の移動は自動車である。
もちろん、自動車の運転中はイヤホンを使えない。
しかし、関西にいるときは、移動のほとんどが電車であったため、かなりイヤホンを使った。
おそらく、都会の方がイヤホンを使う機会が多いだろう。
昔、自動車に乗ると、自分の家にいるような気分になるため、気が大きくなるとの記事を見たことがある。
その意味で、イヤホンも同じような効果があるのかもしれない。
満員電車の乗りながらも、好きな音楽で周りの音をシャットアウトし、自分の世界に入ることができるとは、素晴らしい時代だと思う。
イヤホンは、耳を塞いでいるのか、耳を自由な世界へと解放しているのか、大いに悩むところである。