文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

バランスについて〜バランスの正しい取り方〜

〜バランスとは、正しさを判断するための距離感である〜

 

目次

 

今日は、とても重たい仕事があった。

なんとか乗り越えられたのは、奇跡といえよう。

多少の投資の損失など、どこ吹く風といったところであろうか。

 

明日は、何も予定がないため、長めの散歩に行こうと思う。

 

 

今日のテーマは「バランス」についてである。

 

 

このテーマにした理由は、「何事もバランスが大事である」と、お昼にチキンカツカレーを食べながら思ったからである。

 

 

バランスとは

「バランスとは?」

「バランスは、異なる要素や要因の間で均衡が取れている状態を指します。例えば、仕事とプライベートのバランスが取れているとは、仕事と家庭生活の間で適切な時間配分がなされていることを意味します。また、栄養バランスが取れているとは、食事において必要な栄養素がバランスよく含まれていることを指します。」

 

とのことである。

 

なるほど!

 

大事なのは、異なる要素や要因の「間」で「均衡」が取れているということであろう。

 

ちなみに、以前日記で書いた私の「バランス論」は、「中央に寄せるものではなく、左右均等にばらけさせる」というものである。

 

「左右均等であれば、ばらけていた方がいい」と言い換えることもできる。

 

しかし、「ばらけているほど、バランスを取るのが難しい」とも言える。

 

 

バランス至上主義

誰かに何かのアドバイスを求められたとしよう。

 

特に頭が回らない時や、何も思いつかない時は、とりあえず

「バランスを大切にした方がいいと思う」

と答えておけば、丸くおさまるだろう。

 

「バランス」とは、万能薬である。

 

誰かに何かを注意するときも、

「バランスに気をつけてほしい」

と言えばいいし、

 

誰かを褒めるときも、

「バランスがいいね」

といえばいい。

 

「バランス」を挟むだけで、あらゆる「コンプライアンス」に対応している、玉虫色の回答になる。

 

「バランス」という言葉をつけるだけで、発言の「バランス」が取れる。

 

 

バランスの問題点

バランスの問題点は何か?

 

例えば、先に述べた

「左右均等であれば、ばらけていた方がいい」

を中心に考える。

 

それは、「バランス」が「ミルフィーユ」であることだろう。以上。

 

と言われても、「?」となるだろう。

(*最近「」をよく使うが、これもバランスの失調であり、ともすれば日本語の乱れかもしれない)

 

ミルフィーユとは?」

ミルフィーユは、フランス語で『千層』という意味です。料理の世界では、通常はパイ生地やクレープ、フィロ生地などを使って作られた、複数層になった菓子や料理を指します。以下略」

 

ということである。

 

いまだに「?」だろう。

 

 

ミルフィーユについて

全章で、全く「バランス」の問題点を触れなかった笑。

 

真面目に語る。

 

例えば、一日仕事を16時間するとする。

バランスを取るために、家族サービスを8時間するとする。

 

ここでは、仕事と家族サービスのバランスは適切だと仮定する。

しかし、これでは問題があるのは、自明であろう。

当然のことながら、「睡眠」の時間が取れていない。

 

「仕事」と「家族」のバランスは取れても、「睡眠」という「バランス」の軸が生まれてきて、「バランスは取れているか〜?」と訴えかけてくる。

 

そして、この「バランス」は無限に生まれてくる。

 

これは、我々が「社会」を形成しているからであろう。

 

そしてこのことこそが、生きるということであろう。

 

万物の根源はバランスである。

 

 

バランスと多様性

昨今話題の「多様性」について、どのように考えればいいのか?

 

「多様性」とは、一般的な意味での「バランス」が取れていない状態であろう。

 

「個性」とも少しニュアンスが違うように思う。

 

前述の「左右均等であれば、ばらけていた方がいい」という考えでいけば、「多様性」を認めるのは、大切なのだろう。

 

しかし、「ばらけているほど、バランスを取るのが難しい」というのも、間違ってはいないような気がする。

 

「多様性」に関しては、ここまでにしておく。

 

それは「多様性」という言葉は、とても繊細だからだ。

 

「多様性」という言葉自体、「バランス」を取るのが、極めて難しいといえよう。

 

 

正しいバランスの取り方

最近ゴルフにハマっているので、ゴルフの例を多用する。

 

ゴルフの上達に必要なものは何か?

 

これは仮説段階であるが、多分、

『余計なことをしないこと』

であろう。

 

YouTubeなどでは、「これをすればスイングが良くなる」という動画がたくさんある。

しかし、繰り返しになるが、大切なことは余計なことをしないことである。

ただでさえ余計なことをしているのに、その上に余計なことをすると、訳がわからなくなる。

 

自然に行う余計なことを「クセ」と名付ける。

 

この「クセ」を取り除くということは、ものすごく難しいのである。

 

ひとは誰しも「クセ」を持っている。

 

誰しも「クセがすごい!」のである。

頭の中に、千鳥を浮かべるのも、一種の「クセ」である。

 

ゴルフでいえば、腕に力が入るであったり、大きく振ってしまうであったりだ。

これを、コツコツと練習で取り除いて行くしかない。

 

そう考えると、

「ばらけているほど、バランスを取るのが難しい」

というのを少し変えて、

「母数が多いと、バランスを取るのは難しい」

といえよう。

 

そして、

「バランスを取る時は、シンプルな方がいい」

とも言える。

 

 

考え方のバランスの取り方

考え方にも「クセ」があろう。

 

認知行動療法なんかは、この「クセ」を修正する、または認識するのだろう。

 

では、ゴルフの例との違いは何か?

 

これは、私の日記では幾度となく出てきた考えであるが、

 

「記憶は不可逆的である」

 

ということである。

 

話は逸れるが、時間も記憶の副産物であり、記憶が不可逆である以上、タイムスリープもできない。

また、AIの強みは、記憶力よりも忘却力である、という考えにつながる。

(*いつかの日記で書いているので、興味がある方はご覧ください。)

 

では、考え方のバランスはどう取るのか?

 

それは、AIが最初に教えてくれた、「異なる要素や要因」を取り入れることである。

 

平たい話が、知識の偏食をしないようにしようということだろう。

 

ちなみに、4月3日の(2024年3月の名言集)内で触れた、「6対4理論」もこのセオリーに立脚している。

 

ざっくり説明すると、自分が正しいと思っていることを、「6割は正しく、4割は間違っている」と考えるのである。

 

心理学的にいうと、「自分自身に対して両面提示を心がける」と言い換えてもいい。

 

 

理系へ

私の日記のテーマが相対性理論であることも、バランスを取るためである。

 

圧倒的に理系の知識が不足している。

 

文系理系問題について話すと長くなりそうなので、明日のテーマにするかもしれないし、しないかもしれない。

 

今日の話を、理系の方にわかりやすく記載しておく。

 

1=1≠1=1≠2

 

(999+1)=1000≠(1001ー1)≒1001

 

√√√・・・√バランス=i

 

といったところであろう。

 

数式の中に、今日の日記と真逆のことを入れ込んでみたので、ぜひ汲み取ってもらいたい。

 

 

保留事項(*備忘録)

バランスと先入観

バランスと前提知識

バランスと正義

バランスと弾劾裁判

バランスと振り切っている

バランスと市場

バランスと価値

バランスと生存戦略

バランスとバカンス(今日の日記の「バランス」を「バカンス」に置換しても成り立つのではないか?)

 

 

最後に

今日は重い仕事があった。

 

そのご褒美として、大好きなチキンカツカレーを食べた。

 

しかし、減量途中であるのに、チキンカツカレーを食べた。

 

チキンカツカレーを食べた後は、仕事を頑張れた。

 

今、とても眠いので、ジムにはいけそうもない。

 

さて、チキンカツカレーを食べたことは、正しかったのか?

 

バランスとは、正しさを判断する際の「距離感」なのかもしれない

 

バランスの数だけ正解があるのか?

正解の数だけバランスがあるのか?

 

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

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