文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

不老不死について〜不老と不死は別物〜

〜夏が好きな人と冬が好きな人はいるが、日が短い方が好きと言う人はいない〜

 

 

今日から3連休前なのに、頭が痛い。

低気圧が原因なのだろうか?

私はもともと偏頭痛を持っているが、天候により頭痛がひどくなると思ったことはなかった。

花粉症も同じ理論で昨年まで過ごしていたが、流石に根性論ではどうにもならなくなった。

これから低気圧の日は頭痛になるという恐怖に怯え続けるのかもしれない。

 

今日はジムに行ってきた。

筋トレをしているが、今まで筋肉質になったことはない。

しかし、少し引き締まるので継続している。

5年ほど前に、トレーナーの方についてもらい、一通りのマシンの使い方を教わった。

独学での筋トレは難しいというのが私見である。

 

あー頭が痛い。

 

頭が痛い日は、生活水準が著しく落ちるような気がする。

あまり本が読めないし、座っているのも辛い。

かといって、横になり続けるもの辛い。

テレビを見ていても目の奥が痛くなるし、笑えなくなる。

今度、頭痛についての記事も書いてみようと思う。

 

 

さ〜て今日のテーマは「不老不死」である。

 

 

このテーマにした理由は、いつも使っているドラッグストアで不老不死の薬が売っていたからである。

4つで1,300円であったが、持ち合わせがなかったため、買わなかった。

 

 

目下、不老不死について語るときには、不老不死の薬があると飲みますか?という議論になると思う。

私は飲まない。

この世の中は辛いことばかりだからだ。〜終幕〜

 

と冗談は置いておいて、本題に入る。

よく不老不死の薬という話があるが、不老の薬と不死の薬は別物であると考える。

 

 

不老とは代謝の問題である。

人間は代謝が追いつかなくなると、老いる。

よって、不老の薬とは、代謝が落ちない薬ということになる。

常にピチピチで、怪我もすぐに治り、ダイエットもしやすい体が続くというのが不老の薬の効用であろう。

よって、私は不老の薬は飲みたいと思う。

 

少し話は逸れるのであるが、このブログは自力で相対性理論を思いつくのが最終目標である。

そう考えると、不老の話では「時間」が重要になってくる。

個人的な見解であるが、人間が「時間」を感じるのは老化によるものと考えている。

感覚で考えていい話かどうかはわからないが、不老の薬を飲むと、いよいよ「時間」はなくなるのではないかと思っている。

 

 

不死とはアクシデントの問題である。

有事の際に、必ず一命を取り留める薬と考えていいかもしれない。

誰でも、高い崖から落ちると大怪我をする。

いろんなところを骨折するかもしれないが、命は助かるといったところであろう。

くどいかもしれないが、不死の薬とは怪我をしないというものではない。

事故により植物状態になっても、不死は不死であろう。

私は不死の薬は飲みたくない。

 

少し話は逸れるものの、不死には肉体的な不死と精神的な不死があるように思う。

肉体的な不死とは、精神的には死んでいる状態であるものの、肉体は生きている状態である。

簡単に言えばゾンビである。

一方で精神的な不死とは、肉体的には死んでいる状態であるものの、精神的に生きている状態である。

簡単に言えば地縛霊をはじめとした幽霊であろう。

 

 

ちなみに、不死の薬と近いものに、人間の機械化があるように思う。

人間の考えを抽出して、パソコンのようなものに再現できれば、その人の考えは死なないことになる。

これが幸せなのかどうかはわからないが、私は乗り気ではない。

それも含めて、私は不死の薬は飲まない。

 

 

今日は頭が痛いので、これ以上のことは思いつかない。

一生頭痛にならない薬があれば、迷わずに飲む。