文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

メンタルについて〜メンタルブレイクな話〜

〜自信は論理的につけることはできないが、論理的に否定することはできる〜

 

今日は仕事で落ち込むことがあった。

そもそも、最近あまりメンタルが安定していない。

正直なところ、私自身、元々メンタルが極めて弱い。

具体的な話をすると、何かしらの結果を待っている時に、全く落ち着けない。

学生時代に試験で落ち続けたことの、後遺症かもしれない。

元々の性格かもしれない。

もちろん、結果がダメだった時にはなかなか立ち直れない。

人間に向いていないのかもしれない。

 

 

そんなわけで、今日のテーマは「メンタル」である。

 

 

このテーマにした理由は、すでに説明したとおりである。

 

今まで、数えきれないほどの、メンタルを強くする本を読んできた。

しかし、全く強くはならなかった。

得られた教訓としては、本を読んでもメンタルは鍛えられないということだ。

では、どうすればメンタルが強くなるのだろう?

 

一番に思いつくのは、立場である。

適切な立場にいれば、それなりにストレスがかかるものの、毎日が張り合いのある日々になるだろう。

では、今の立場が自分に合っていないかと考えると、そうもいえないと思う。

とはいってみたものの、今の立場が自分に合っていることも、合っていないことも説明できない。

今の立場がどうなれば、精神的に楽になるのか?と考えてみたものの、特に改善策は思いつかない。

となれば、今のメンタル的な問題を、立場によって解決するのは難しいかもしれない。

 

二番目に思いつくのは、受け流しである。

私は、極めてネガティブな人間である。

誰かの言った一言が、常に心に刺さって、心タンポナーデのような状態になっている。

きっと私のような人間がやけくそになると、あらゆる言葉を変な意味で受け取って、ハラスメントと言ってしまうのだろう。

受け流す技術。

何も考えなければ、幸せなのだろうか?

幸せだとして、何も考えないということはできるのだろうか?

最近は、日記を書いている時間にだけ、カタルシスを感じられる。

しかし、日記のネタになることはないかと、疑うような目で全てを見ているので、受け流すとは相容れないのかも知れない。

色々考えたが、受け流しでメンタルを維持することは難しいだろう。

 

最後に、自分よりも辛そうな人を見る、である。

これは最終奥義である。

他人と比較することが、もっとも危険であることは重々承知である。

他に方法が思いつかないのだ。

具体的には、芥川龍之介太宰治といった作家の小説を読み耽る。

昔は、ヘルマンヘッセの『車輪の下』も読んでいた。

しかし、最近では『車輪の下』さえハッピーエンドに思えてしまうため、やめた。

 

世の中の人は、文句を言いながらも幸せそうに生きている。

私は、文句はそんな意言わないが、極めて不幸である。

どうしてこうなったのだろうか?

そう考えてしまうことが、地獄への近道なのだろう。