文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

夢について〜夢と絶望の関係〜

今日は天気が良くなかったので、散歩にはいかなかった。

 

こんな日は、軽くドライブに行く。

運転に集中しなければならない為、散歩ほどは考えがまとまらないが、何かしら考えはする。

 

今日のテーマは『夢』についてであった。

 

『夢』については考えることがたくさんあるが、今日は『夢』の破れ方について哲学した。

 

『夢』の破れ方には、叶う直前で断たれる夢と、棒にも竿にも引っかからずに断たれる夢があると思う。

さて、どちらの破れ方が辛いのか。

 

 

私は、運動神経が良い方ではない。

そのため、ものごころがついた時から、プロのスポーツ選手にはなりたいと思ったことがなかった。

 

よって、プロスポーツ選手になれなかった悔しさは全くない。

 

 

一方で、私は小さいころからパイロットになりたかったが、眼に色覚異常があったため、なれなかった。

もっとも、パイロットになるのは狭き門であり、眼に色覚異常がなくても慣れるとは限らない。

その意味で、パイロットの夢は叶う寸前で断たれた夢なのか、棒にも竿にも引っかからなかった夢なのかはなともいえない。

しかし、飛行機に乗るたびに、夢が破れたことを思い出し、辛い気持ちになる。

 

 

また、私は大学代に公認会計士試験の勉強をしていた。

かなりの勉強時間を割き、合格の直前まで行っていたが、最終的に合格はできなかった。

パイロットに比べて、本気でなりたいという度合いは小さかったものの、コストをかけただけに、かなり辛い気持ちになった。

 

 

さて、プロスポーツ選手、パイロット、公認会計士の3つの夢が叶わなかったが、この中で一番辛いのはどれか。

 

 

 

完全に私の主観であるが、圧倒的に公認会計士である。

大学の同期や、地元の後輩が会計士として活躍している情報が入ってくるたびに、悪夢で目を覚ましたり、動悸が止まらなくなったりする。

 

 

なりたかっ度合いでいくと、圧倒的にパイロットである。

また、年収や社会的なステータスという意味では、プロスポーツ選手であろう。

ではなぜ公認会計士になれなかったことが一番辛いのか。

 

 

そのヒントに、もう少し頑張ればなれたかもしれないという後悔があることが挙げられると考える。

公認会計士になるために100%の努力をしたと胸を張って言えないのである。

 

 

そう考えると、夢を無理に持つことは、必ずしもいいこととは思えないように感じる。

私は公認会計士試験を通じて、多くの時間と、大きな挫折を経験した。

これらのことは、きれいなことばかりではなく、私の心に大きなトラウマとして、現在でも残り続けている。

 

そもそも、そこまでなりたいとも思っていない公認会計士の勉強をしなければ、こんな挫折も経験することはなく、トラウマにもならなかったのではないか?

 

 

勉強をしたために、大きなトラウマとなったのであれば、私は人生について、もっと慎重に考えなければならないと考える。

 

 

その意味で、小さい頃からスポーツに打ち込み、プロの声がかかるかどうかというところでプロになれず、同じユニフォームを着て共に戦っていた隣の人がプロになると、一体どれほどの絶望感が植えつけられるのだろう。

 

人生を通じて、これほどの絶望感から立ち直ることは可能なのだろうか?

 

 

夢を持たずに、やりたいことだけをやっていれば、こんなに辛い思いをしなくてもすんだのかもしれない。という、夢のない話であった。