文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

タイムマシンについて〜最初に作る部品はどこか〜

今日は一日中、家でゴロゴロしていた。

散歩はしていない。

こんな日もある。

 

しかし、家でゴロゴロしている間にも、頭がグルグル回っている時がある。

もはや、散歩哲学ではなく、単なる哲学である。

今日のテーマは「タイムマシンについて」であった。

 

もっとも、私は科学についてはトンチンカンである。

自慢ではないが、高校の時に、モル計算で躓いたほどである。

 

そんな、根からの文系(*理系ではないという意味)の私が、タイムマシンいついて哲学してみた。

 

昔、友達とタイムマシンは作ることができるか?と言うテーマで、議論をしたことがある。

その時の結論は、我々は未来人と会っていないため、タイムマシンは作成出来ないというものであった。

 

いろいろな人生経験を積んできた今、改めて考えてみる。

果たしてそうであろうか?

 

タイムマシンを作る上で、最初に必要なものは、出口である。と言うのが私見である。

もっともこれは、過去に遡るタイムマシンに限定した話である。

未来に向かうタイムマシンについては、後日哲学したいと考える。

 

一般的なタイムマシンの流れを考えたときに、まず、何かしらのタイムマシンの装置を作る。

未来的なスイッチで、扉が開き、過去と時空が通じる。(時空という言葉をこんなにいい加減に使って、理系の方に怒られないか不安であるが笑)

そして、過去にタイムスリップする。

 

上記の流れを普通の時系列順に並べたときに、最初にできるのが未来と現在の時空を通じる、いわばタイムマシンの出口ということになる。

 

よって、題意は示された(笑)

 

半分冗談ではあるが、半分本気でもある。

今の私の科学力と、抽象的な思考能力では、これ以上深く考えられないのである。

 

ただし、地質学者や生物学者も、このように思っているのではないかと期待している。

と言うのも、タイムマシンの出口というのは、我々の想像する宙に浮いたフラフープのようなものとは限らないからだ。

つまり、恐竜の化石やピラミッド、さらには我々の骨や遺伝子と言ったものもタイムマシンの出口なのである。

 

その意味で、日記やこのブログもタイムマシンであり、今私がアウトプットしている文章そのものも、タイムマシンの出口なのである。

(*ブログの意味や有用性については、例の如く、後日哲学したい。)

 

よって、タイムマシンは簡単に作成できるのではないか?

もっとも、このタイムマシンは、未来に向かったタイムマシンの入り口とも考えられるが、難しいことは今はわからない(笑)

 

私には、かねてから疑問に思っていたことがある。

例えば、ドラえもんのように過去に戻ったとしても、タイムパトロールがいるため、過去を変えられないとする。

その場合、ビデオカメラで撮影された映像を見ることや、当時の様子をCGで再現したものを追体験することと、一般的な概念としてのタイムマシンはどれほどの差異があるのか?

 

現時点では、匂い等の差異はあるかも知れないが、それは取るに足りないことなのではないか?

 

その意味で、元素や遺伝子解析が進めば進むほど、より精密なタイムマシンができるのではないか?

 

と、ここまで考えたところで、頭がバーストしそうになった。

 

 

雑な結論になったが、科学的なことを哲学すると、答えに全く辿りつかない感じが面白い。

 

私と、高度な科学的知見を持った人とでは、どれだけモノの見え方が違うのだろう。

 

過去、現在、未来の文系人間同士間よりも、同じ時を過ごしている、私と科学者の方が、ギャップが大きいのではないかと思う。