〜いい名言をいくつか思いついたが、全て忘れた〜
5日間も日記を放棄してしまった。
毎日日記を書かなければとは思っていたが、結局は書かなかった。
少しだけ言い訳をすると、私は完璧主義である。
一日も漏らさずに日記を書き続けると、どこかでしんどくなると思っていた。
そのため、2月9日は意図的に、なおかつ無断で日記をつけなかった。
その後は日記が書きたいと思えるまで、待ってみようと思っていた。
金曜日と3連休は、日記のことなどすっかり忘れてゆっくり過ごした。
そして今日、ついに書きたくなった。
生活の方はというと、基本的にダラダラしていた。
ただ、毎日天気が良かったため、夕方ごろに1時間ほど歩いた。
毎日ジムにも行った。
日記を書かなくなったことに後ろめたさを感じてソワソワするかと予想していたが、意外と落ち着いていた。
とまあ、日記を書かなかったことの反省はこのへんにしておこうと思う。
今日のテーマは「祖父」についてである。
このテーマにした理由は、自分の祖先が気になったからである。
ちなみに私の強い信条の一つに、『蛙の子は蛙』がある。
正直、田舎で育てば誰でもそのように思うように感じる。
ここでいう祖父とは、私の父方の祖父である。
母方の祖父の情報は一切ない。
といっても、父方の祖父も私が生まれる1年前に亡くなっている。
享年は55歳であった。
これでも、我が家の男性でもっとも長生きした。
我が家は短命家系である。
祖父は日記をつけなかった。
もちろん、祖父が写っているビデオはない。
それどころか、祖父が写っている写真も遺影しかない。
そのため、祖父がどんな顔で笑ったのかは全く想像つかない。
どんな思想を持っていて、どんな言葉をよく使っていたのかもわからない。
余計なお世話であるが、遺産も全くなかった。
近所の人に聞いたところによると、いい人だったという。
隣人に言いくるめられて、土地の一部を取られたこともあったらしい。
いい人というのは、都合のいい人ということなのだろうか。
その他の情報は、頭が悪い、頑固な性格である、短気である、お酒が好きであるものの極めて弱く人格が変わり暴れる、友達と言える人はほとんどいない・・・etc
昭和の人というのは皆こんな感じなのだろうか?
趣味もわからないので、本当に何が楽しくて生きていたのかはわからない。
私が唯一似ていると言われるのは、辛いことがあるとよく下を向くところらしい。
全く嬉しくない。
少し話はそれるが、私の父は将棋と麻雀が好きだったが弱かった。
私が小学生の時に、将棋で父を負かした。
その日からしばらく機嫌が悪くなり、それ以降二度と指してくれなかった。
祖父もこんな感じだったのだろうと、今になってしみじみ思う。
お酒は全く飲めないし、人付き合いも下手である。
伯父は生粋のギャンブラーだった。
お酒は弱かったが、将棋も麻雀もべらぼうに強かった。
それ以上に強かったのが、祖父の弟である。
お酒も強かったため、関西で雀荘を経営していたらしい。
タイムマシンがあるなら、一度行ってみたかった。
祖父というテーマだったが、広く先祖について考察した。
私は将棋も弱いし、麻雀も弱い。
頭も悪いし、お酒も弱い。
友達も極めて少ない。
しっかり我が家系の特性を引き継いでいる。
私のオリジナリティがあるとすれば、我が家系で初めて大学に入り卒業したことである。
今日のテーマを書いているうちに、祖父のことを全く知らなかったと改めて気づいた。
日記の読者は将来の自分、という言葉を聞いたことがある。
日記を他人に見せたくないという人も多いだろう。
しかし、子孫としては先祖がどのようなことを考えていたのか、何かしらの形で残してもらいたかったものである。