文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

ストロベリー・フィールズ・フォーエバー

〜エベレストの山頂に花は咲かない〜

 

憂鬱な気分も吹き飛ぶ、金曜日である。

サクッと仕事を終えて、ジムに行ってきた。

私は胸の筋トレは好きな一方で、肩の筋トレはそこまで好きではない。

筋トレの次の日に、頚部痛が発生するからである。

明日も発生するようであれば、しばらく肩の筋トレはやめようと思う。

 

 

そんな今日のテーマは「睡眠」についてである。

 

 

なぜこのテーマにしたかというと、明日は特に予定がなくゆっくりと眠ろうと思ったからである。

 

睡眠に関しての最大の疑問は、なぜ我々には睡眠が必要なのかということではない。

この命題は、あまりに解決されていないことが多いため、私にとっては哲学をするのに不十分であると考えるからだ。

 

最大の疑問は、寝るのが好きな人は幸せなのかということである。

最近、じわりじわりと幸せに関する哲学が増えてきたことには、とりあえず目を瞑っておく。

 

尖った意見をすると、寝るのが好きというのは、起きていることが辛いのかということになる。

もちろんそうはならないが、眠っている時間の記憶はほとんどない。

また、眠っている間には、実に多くの時間が過ぎている。

どんなことをしているよりも、体感時間は早いだろう。

未来に行ける(時間を消費できる)ことで喜びを感じる人も少ないだろう。

さらに言えば、二度寝や長時間の昼寝は健康によくないとの噂もある。

であれば、何がいいのか?

 

昔、『ゴールデンスランバー』という映画を見た。

原作は伊坂幸太郎さんであるが、まだ読んでいない。

個人的にはかなり面白い映画であった。

ハッピーエンドなのかバッドエンドなのかしばらく考えたが、よくわからなかった。

ゴールデンスランバーとは日本語に訳すと、黄金のまどろみという意味らしい。

この、眠ってはいないけれども、どこかふわふわしていて、暖かい生命の源を身体中に感じながら、自分の帰るべき場所へと帰る道すじが心地よいのではないか?というのが私の考えである。

たとえ全てを打ちひしがれるような悪夢に体を叩き起こされようとも、私は束の間の黄金のまどろみを心から渇望するのである。

 

ものすごく話が変わるのだが、数年前に村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んだ。

その時に強烈に思ったのは、なぜノルウェイの森という曲を軸にし、タイトルにまでしたのかということである。

諸説あるようであるが、私が思いつくことといえばロクでもないことばかりである。

それは、The Beatlesの少しマイナーな曲をタイトルにすればそれっぽくなるのではないかということである。