文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

旅行について〜旅先ではなにを拾ってくるか〜

今日は15分くらい歩いて、やめた。

右足の甲が痛くなったためである。

明日には治っているといいな。

 

今日のテーマは「旅行」である。

 

私は旅行があまり好きではない。

 

一つ目の理由は、少し変わっているが、飛行機が大好きだからである。

 

飛行機が大嫌いの間違いではないかと思われたかも知れない。

 

しかし、本当に飛行機が好きなのだ。

 

仮に旅行に行ったとして、もっとも楽しいのは、行きの飛行機の離陸なのである。

次に、帰りの飛行機の離陸、行きの飛行機の着陸、帰りの飛行機の着陸となり、最後に旅先でのあれこれがくる。

 

行きと帰りの飛行機を最大限に楽しむため、旅先であまり体力を使いたくないのである。

そのため、旅先で思いっきり楽しめないのだ。

 

少し話が脱線する(電車もそこそこ好きである)が、交通手段という言葉がある。

旅行先に到着するという目的のために、どのような手段を使うかという考えに基づいたものだろう。

しかし、私にはいまいちこの言葉がピンとこない。

 

というもの、私にとって、飛行機に乗ることこそが目的であり、旅行に行くというのはあくまで手段なのだ。

こんな分けのわからないことをいう人は少ないのかも知れない(笑)

 

二つ目の理由は、観光地が嫌いだからである。

観光地というのは、必ずしもそこに住む人々の慣習を汲み取ったものではない。

私は、郷に入れば郷に従いたいのである。

私自身、関西で何年か勤務していたが、関西人はそこまでお好み焼きやたこ焼きを食べないのである。

むしろ彼らは、味の薄いラーメンやうどんを食べるのである。

郷に入るにも従うにも、旅行という期間では、到底足りないのである。

 

我ながら、実にめんどくさい性格である。

 

三つ目の理由は、写真で満足できるからである。

今の時代、気になるスポットの写真や動画はSNSなどで出回っている。

それで十分なのである。

 

再び話は脱線するが、私は、ネットに転がっている写真以上の写真を自分で撮ることは難しいと考えている。

その意味で、撮り鉄と言われる方々が、自分で鉄道の写真を撮りたいと思う気持ちがわからない。

もっとも、同士で集まって、会話を楽しむのであれば非常にわかる。

 

最後に、何をもって旅行の成功とするかを考えてみた。

 

前述の通り、文化に触れるには短すぎる。写真を撮るには、もっと上手い人がいる。

であれば、我々は旅行に何を求めているのか。

 

昔、落語を聞きにいったときに、落語家の方が、全国の空気を吸ってまわることが、大きな息抜きになると言っていた。

なるほど、この気持ちはわからなくもない。

私は全国転勤や出張があるが、そのようなものがない人にとって旅行は、大切な息抜きになるのだろう。

 

ここまで行ってなんであるが、私はアニメや小説の聖地巡礼は大好きなのである(笑)