〜ギターは一日でマスターできない。よって、一日でロックスターにはなれない〜
今日は会社のメンバーで飲み会があった。
私自身お酒は弱いが、少しだけ飲んだ。
そんなわけで、今日のテーマは「飲み会」についてである。
とその前に、私にはここ最近、強く意識していることがある。
企業が習慣化していることは、極めて効率的なのではないか?ということである。
もちろん各々の事例で、当てはまるがどうかはわからない。
悪き風習というものも少なくないだろう。
私自身、若いころは全ての“常識”に噛み付いてきた。
しかし、企業が選択しているということは、それだけコストをかけているということである。
多くの大人が必死になって考えた結果なのである。
先日の日記においては、羽田空港での事故のことを触れなかったが、今日は少しだけ触れておく。
原因についてはいまだ明らかではないし、それこそ現時点においても素人がとやかく言うべきではないと思う。
私が言いたいのは、再発防止策についてである。
私調べであるが、今回の事故がどうすれば防げたかということが色々考えられている。
再発防止策を皆で考えることは大切であると思う。
しかし、私の意見では、再発防止策はない可能性が高いということになる。
理由は前述の通りで、航空機という事故が許されないツールにおいて、パイロットや管制官をはじめとした数多くの人が編み出したツールが、現在の空港である。
前提であるが、100%安全なシステムを構築することは難しいことが容易に想定できる。
というのも、そもそも飛行機というのは、新幹線等が利用可能な場合を除いて、必要不可欠な移動ツールである。
そのため、ある程度の採算を度外視してでも、安全なシステムを導入するであろうと推測できる。
AIが進化すればどうなるかはわからないが、現時点ではそのようなシステムが導入されていないことから、上記の前提に至った。
ここからは推測である(*ここまでも推測である)が、今後も完成するかどうかはわからない。
ここでもっとも注意すべき点は、確認手続きを増やせばそれだけミスのリスクが増えることになり、必ずしも安全につながるとは限らないということである。
何が言いたいのかをまとめると、既存のシステムを採用するに至った過程で、我々が思う以上にいろんな議論がなされていると言うことを尊重すべきということである。
このことは、職場における飲み会にも当てはまるような気がする。
ようやく本題に戻ってきた。
飲み会という文化は、昔からあったと思う(*確認はしていない)。
その文化が、アルハラや業務に含まれるか?という比較的新しい考えによって、淘汰されつつある。
今後もその流れは加速していくように思う。
もっとも、飲み会の良し悪しであったり、参加するか否かの判断は、属人的な問題であろう。
参考までに、私個人としては飲み会が好きでありよく参加している。
ここで重要なことは、飲み会、もしくは飲みニュケーションという文化が昔からあったこと(*確認はしていない)である。
昔の人にとって、「飲み会が楽しくないため、参加しない」ということは、何を意味していたのだろうか?(*確認はしていない)
コンプライアンスやハラスメントに直結しかねない、繊細な問題であるだけに、かなり言葉を選んだつもりである。
今日言いたかったのは、確かに、革新的な考えや新しい価値観は重要である。しかし、伝統的な文化を軽視する理由にはならないということである。
一見、少しの利益も生み出さないような存在が、実は重要なキーになっているということは少なくないだろう。
常識を疑うことも大事であるが、常識の趣旨を理解することも同じくらい重要なのだ。
冒頭に記載している名言風の言葉を初めて書いたのが12月23日である。
記念すべき初めての名言風の言葉を繰り返して結びとする。
昔の人間が理に適っているのは当たり前である。今より本能にしたがって生きていたからだ。