文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

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今年の漢字について考えてみた(その②)

〜人間は知らないうちに客観性を失う〜

 

今日で仕事納めとなった。

 

一年間色々あったが、無事に職務を全うできた自分を誇らしく思う。

 

 

さて今日は12月14日に書いた、今年の漢字について考えてみた(その①)の続きである。

 

前回の記事を読んでいない方は、ぜひ読んでもらいたい。

 

 

まずは、前回挙げた「車」についてである。

 

自動車保険の水増し請求があったことは、なかなかホットなニュースであった。

 

また、前回の記事以降、軽四の有名メーカの不正も明らかになった。

 

自動車業界にとっては、激動の一年であったのではないかと考える。

 

そう考えると、「車」は中々有力な候補ではないかと思う。

 

今後、「車」という漢字がフィーチャーされるとすれば、大阪万博に空飛ぶ自動車が間に合ったときや、完全自動運転自動車ができたとき、そして電気自動車の普及によりガソリン車がなくなったときであろう。

 

 

では、「性」についてはどうであろうか?

 

まず思い浮かべるのは、大手芸能事務所の性加害問題である。

 

こちらについては、深く述べることはしない。

 

さらには、LGBTQに対する取り組みも大きかったように思う。

 

また、性的同意アプリというものが開発された。

 

そう考えると、今年は「性」についていろんなことが起こったように思う。

 

今後「性」という言葉がフィーチャーされるとすれば、性病が大流行することなどが考えられるが、フィーチャーされないことが一番いいのだと思う。

 

 

ここまで色々考えてきて、話は逸れるが、なぜ今年の漢字というコンテンツがそこまで注目されないのだろうか?

 

これに関しては、常々思っていることがある。

 

それは、新しい漢字が生まれないからである。(中国では生まれているようであるが、私たちが新しい漢字を使うことは少ないだろう)

 

ITパスポートの勉強をしていたときに思ったのだが、とんでもない量の外国語が輸入され、カタカナ語となって日本に広まっている。

 

私の日記を見返してみても、カタカナ語ばかりである。

 

もちろん新しい漢字はない。

 

そのこと自体は、悪いことではないと思う。

 

日本語が柔軟であると言えばそれまでであるが、このままのスピードで世界が回ったら、50年後の私の日記は、カタカナ後で埋め尽くされているのではないかと思ってしまう。

 

 

さて、前回の今年の漢字について考えてみた(その①)以降、本気で今年の漢字について考えてみたが、中々新しいものが思い浮かばなかった。

 

今年の漢字は「該当なし」とすることも検討したが、一度使った漢字は今後使えないというルールに縛られすぎて、毎年「該当なし」になるような気もした。

 

そのため、新たなルールとして、毎年一つは漢字を選ばなければならない、というものを追加する。

 

 

ということで、今年の漢字は、「性」とすることとした。

 

これには、今後二度と同じ漢字を使ってはならないというルールの副産物的なものであるが、今後二度と使わなくてもいいようにという願いも込められている。