〜人生とは終わりなき椅子取りゲームである〜
月曜日は、いつも以上にドッと疲れる。
今日は仕事終わりにジムに行ってきた。
背中と脚のトレーニングをした後、30分歩いたり走ったりした。
久しぶりにかなり汗をかいたのですっきりした。
今日のテーマは「椅子」についてである。
このテーマにした理由は、今座っているという極めてシンプルなものである。
まず、椅子の歴史についてであるが、紀元前から存在しているようだ。
思えば、古代エジプトの壁画に椅子に座っている何かが書かれていたような気がする。
また、中世のフランスに於いては、権威の象徴のように使われている。
現在でも、椅子という言葉には「官職・役職の地位、ポスト」という意味もある。
現在、いろいろな椅子がある。
ソファーやYogiboは新しい形の椅子かもしれない。
また、リクライニングチェアやマッサージチェアも新しいものであろう。
車椅子は電動車椅子に進化した。
難しいのは、自動車を走る椅子と考えるかどうかであるが、そのように考える人は少ないだろう。
一般的なサラリーマンは、一日の1/3程度をベッド上で、1/3を椅子上で、その他を立ったり歩いたりして生活していると思う。
その意味で、椅子とベッドは今後大きな技術革新があるように思う。
スマホと一体化した、スマートベッドやスマートチェアが出るかもしれない。
今もあると思うが、ベッドと椅子が一体化した家具ができるかもしれない。
私個人としては、一日中会社で椅子に座っているため、腰に負担の少ない椅子が発明されれば嬉しいが、よく考えると、座るという行為自体が腰で上半身の体重を受け止めるものであるため、難しいのかもしれない。
また、私は猫背であり姿勢が悪いため、姿勢を矯正してくれるような椅子があっても嬉しい。
根本的な問題であるが、座るという行為はほとんど人間しか行わないように思う。
猿や犬もおすわりのような動作を行うが、人間ほど長時間のものではない。
座るという行為を、誰がいつから始めたのかはわからないが、我々が人間になる前から行っていたのかもしれない。
ここで重要なのは、現代のビジネスにおいては、座るという行為がスタンダードだということである。
立っている状態でもなく、寝ている状態でもない。
立ち話は失礼になるし、寝ながら仕事をするのは想像がつかない。
このことが、椅子というものを社会的なものの象徴としているように考える。
しかし今後、腰痛が社会的な問題になったときには、寝ながら仕事をする日が来るかもしれない。