文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

相撲について〜安全に楽しむ相撲〜

〜伝統とは力にも足枷にもなる〜

 

今日は疲れも吹き飛ぶ金曜日である。

今週は雪も降ったため、変に疲れた気がする。

とはいえ、一週間を乗り切れたのは大きい。

いつから一週間が無事に終われればいいと思うようになったのだろう。

昨日もそうだったが、今日もジムには行かなかった。

明日は絶対に行く。

 

 

今日のテーマは「相撲」である。

 

 

職場に相撲が好きな人がいるため、逐一誰が勝ったかを伝えてもらえる。

私個人としては、豊昇龍関が好きであるが、霧島関が新横綱になるのもみてみたい。

 

さて、相撲といえばもちろん日本の国技である。

調べたところ、その歴史は1500年以上あるらしい。

ということは、飛鳥時代にはあったのだろうか?

私は、歴史が苦手であるが、昔の人がどんな生活を送っていたのかには興味がある。

当たり前であるが、飛鳥時代には電気がなかった。

貴族は牛舎で移動していたようであるが、道路はどのような形だったのだろうか?

また、私調べであるが、当時は旅行もなかったようだ。

となれば、ほとんどの人は生まれた地で生涯を全うしたのだろう。

今の生活では欠かせないものが、ない暮らしを想像するのはロマンがある。

昔の人はどんな哲学を持っていたのかも気になる。

 

話が逸れてしまったので、無理やり戻そう。

飛鳥時代の力士は、どのような体型だったのだろう?

今のように100キロを超えるような体型であったとは考えにくい。

当たり前であるが、テレビもないため、相撲を知っている人は極めて少なかったとも推測できる。

 

さて現在の相撲であるが、いくつか思うことがある。

もちろん、伝統の重要性はあるのだが、時代に合わせた変化も重要であると考える。

例えば、アメリカのバスケットボールはコマーシャルを入れやすくするために前後半からクオーター制にしたと聞いてことがある。

一緒にすると怒られるかもしれないが、あくまで私の独り言と思ってもらいたい。

 

まずは、時間帯についてである。

幕内力士の相撲はおおよそ16時から18時であるが、どう考えても早いと思う。

せめて18時から20時となれば、もっと楽しめる人がいるのではないかと思う。

 

次に横綱についてである。

横綱は成績が悪いと、降格は認められず引退となる。

これも一緒にするのは良くないかもしれないが、将棋の世界でも似たようなことがあった。

永世名人資格者の谷川浩司先生が、順位戦名人戦の予選のようなもの)のA級からB級1組に陥落したのだ。

今までは、永世名人資格保持者がA級から陥落すると、順位戦は引退というのがスタンダードであった。

しかし、谷川浩司先生はB級1組で指し続けることを選択した。

横綱も、成績が悪いときに降級できるシステムにしてもいいのではないか?

また話が逸れるが、昔Kー1という格闘技があった。

当時、セームシュルトという圧倒的に強い選手がいたが、あまり人気は無かった。

それが原因かどうかはわからないが、Kー1の人気は下火になっていった。

相撲界も強い人がたくさんいて誰が優勝するかわからないケースと、白鵬関のように大体この人が優勝するだろうという人がいるケースでは、どちらの方が楽しいのだろう?

また、横綱になると降格できないから、横綱にはしにくいというのは、改善の余地があるように思う。

 

次に、土俵についてである。

力士は、意地でも受け身を取らない(と思う)。

素人目に見ても、少し高い土俵から手をつかずに落ちるというのは危険である。

安全管理的には完全にアウトである。

ただでさえ力士は怪我が多いので、こういったハード面の安全性は高められればいいのではないかと思う。

 

最後に、太りすぎ問題についてである。

膝を痛めている力士が多すぎると思う。

力士の体型を見ると、明らかに健康的には良くないだろう。

その意味で、BMI体脂肪率の上限を設けてもいいのではないかと思う。

 

では、私の考えのどこに問題があるのか?

それは、伝統というものを軽視している点であろう。

今の制度がいつから始まったかはわからないが、かなりの歴史があると思う。

それを何年も同じ形で引き継いできたのだ。

そう簡単には変えられないのだろう。

ここで、伝統とはなんなのだろう?

伝統は、文化の象徴である反面、時代錯誤になりやすいものであるというのが私見である。

 

話は戻るが、私は相撲がもっと人気になればいいと思っている。

相撲はすでに伝統にすがりつかなくても、興行として十分に成立すると考える。

よって、伝統がその妨げにならないことを切に願っている。