文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

ロビンソン〜だれもさわれない話〜

〜75点くらいの人生が一番悔しい〜

 

今日は大雪である。

まだまだ降るつもりである。

明日には、大分と積もっているのだろう。

今日はジムに行ってきた。

トレッドミルで20分ほど歩いてきた。

筋トレをしなかったのは、明日の朝の雪よかしのためである。

 

 

今日のテーマは「ロビンソン」である。

 

 

まず初めに、私には好きなアーティストがいない。

といえば言い過ぎかもしれないが、少なくとも全ての曲を聴いているというアーティストはいない。

田舎にいるのでいいのだが、どんなアーティストのライブに行っても、楽しめないのではないかと思ってしまう。

もちろん、好きな曲が多いアーティストはいるが、いろんなメディアを追いかけたことはない。

 

 

私のアップルミュージックには500曲ほどの曲がある。

もっとも曲数の多いアーティストは、『相対性理論』である。少し意外だ。

個人的なおすすめ曲は、「小学館」である。

 

車に乗るときに、全曲ランダムで音楽をかけているのだが、久しぶりにスピッツの「ロビンソン」が流れた。

私は今までに何度か「ロビンソン」の解釈を試みた。

しかし、いずれも撃沈した。

今日はせっかく久しぶりに「ロビンソン」を聴いたので、再考してみようと思う。

ちなみに、個人的には2番の歌詞が好きなため、今日は2番の歌詞を深掘りしていく。

 

『片隅に捨てられて呼吸をやめない猫も』

私は作詞も作曲も心得がない。

また、スピッツはよく聴くが全曲聴いているわけでもない。

しかし、ロビンソンは何百回と聴いている思い出の曲である。

この一節では、「呼吸をやめない」という表現が印象に残っている。

「やめない」という消極的な言葉を使っているからだ。

強く生きるという表現よりも、強烈に生きることにしがみついているという印象を受ける。

ちなみに、このパートのMVは意味深である。

 

『どこか似ている抱き上げて無理やりに頬よせるよ』

昔、作詞の際には単語の音程が自然なものを選ぶとうっすらきたことがある。

この曲も、単語の音程だけ合わせて、意味は深く考えてないと言われればかえって納得できるかもしれない。

ちなみに、一直線ではなく、何年経ってもなかなか理解ができない歌詞の曲を聞くと、アーティストへの強い畏敬の念を感じる。

この一節では、やはり「無理やり」という言葉が印象に残る。

私は猫と似ていると思っているが、猫はお前と一緒にするなとでも思っているのだろうか?

 

『いつもの交差点で見上げた丸い窓は』

もちろん、リズムに乗せるのであれば、音の数も制限を受けると思う。

そのために、ワードを調節しているために、かえって不思議な表現になるのかもしれない。

このフレーズは、全てが不思議であるが、あえていえば「丸い窓」のイメージがつかない。

見上げたということは、2階以上だと思うが、これは田舎者(私)の考えであって、高層ビルかもしれない。

ただし、ビルであればなおさら「丸い窓」のイメージがつかない。

もしかしたら、高台にある家なのかも知れない。

また、あえて「丸い」と説明する理由もわからない。

ちなみに、私はこのフレーズが一番好きである。

 

『うす汚れてるぎりぎりの三日月も僕を見てた』

丸い窓は、この三日月との対比なのかもしれない。

この曲は全体を通して神秘的かつエネルギッシュなのに、1番2番それぞれの最初のパート(Aメロ?)はものすごい暗い言葉が出てくる。

そのため、個人的にはものすごいブレーキがかある気持ちになる。

 

『待ちぶせた夢のほとり驚いた君の瞳

そして僕ら今ここで生まれ変わるよ』

このパートの展開の速さと、得体の知れないどきどき感はものすごい。

今までローに入っていたギアが、一気にトップギアに切り変わる感じがする。

ちなみに「呼吸をやめない」もそうであるが「生まれ変わる」という言葉にも、強烈な死のイメージを抱く。

そう考えると、「待ちぶせた」「驚いた」という言葉も、ネガティブなものかも知れない。

または、ストーカーに寄ったある種の特殊な覚悟のような歌詞とも考えうるが、そんな歌をあんなに爽やかに歌うとは思えない。

しかし、そう考えると「いつもの交差点で見上げた丸い窓」の意味も変わってくる。

より具体的にするために、「丸い」と説明しているのかも知れない。

「僕をみていた」のが「ぎりぎりの三日月」と言うのも、星だけが秘密を知っているようなニュアンスになるかも知れない。

1番の「走る君を追いかけた」も「魔法で作り上げたよ」も意味が変わってくる。

1番で散った恋心を2番で・・・と妄想はこの辺にしておこう。

 

『誰も触れない二人だけの国 終わらない歌ばらまいて』

ちなみに、何度かこの曲の考察をみたことがあるが、やはり「死」寄りに考える方もいるようだ。

特に「誰も触れない二人だけの国」というのが、現世ではないという解釈らしい。

そう考えると、「終わらない歌」がお経のようにも思える。が、その解釈は違うのだろう。

「終わらない」と「ばらまいて」という表現がポジティブなものなのか、ネガティブなのものなのかはわからない。

また「二人」というのが、親友なのか、家族なのか、恋人なのかもわからない。

しかし、この「二人だけの国」というフレーズ自体はものすごくポジティブな印象を受けるため、今までの私の考察が全て違っているような気もする。

 

『大きな力で空に浮かべたら ルララ宇宙の風に乗る』

まず、「大きな力」である。

「軽い気持ち」でも「魔法の言葉」でもない、やけに生々しい表現である。

そして「宇宙の風」である。

今までの流れで言うと、この世のものとは思えない表現である。

 

 

最後に、あくまでこの解釈は現時点での私の独断である。不快な思いをされたら申し訳ない。

私も昔は爽やかでひたすらに心地が良い曲だと思っていた。

いろんな人生経験が、この曲ではなく、私を変えてしまったのだろう。

ただし、初めて聞いた頃から一貫して『ロビンソン』の意味はわからない。