文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

美容整形について〜市民権を得た整形〜

〜故障中という誤用がなされるのは、それに当てはまる適切な表現がないからである〜

 

今日は仕事が終わった後、ジムに行ってきた。

背中と腕の筋トレをした。

少しずつ体重が落ちてきているので、この調子で頑張りたい。

 

 

今日のテーマは「美容整形」についてである。

 

 

このテーマにした理由は、特にない。

たまたま思いついた、という当初のコンセプトに則ったものだ。

 

 

さて、私は美容整形に関しては、否定しない。

昨日のブログでも少し触れたが、私は自分に自信がない。

私の場合、最近は太ったこともあり、少しビジュアル的にコンプレックスはある。

しかし、顔自体はおおむね満足している。

といっても、自慢できるほどではないが、生まれ変わって同じ顔でも、やっていけそうである。

世の中には、自分の見た目に自信がない人もいるだろう。

そういった人は、美容整形で自信が持てるのならば、積極的にした方がいいと思う。

お金で買える自信は全て買え、というのは、正しいように思う。

 

仮に私が整形するとすれば、目を二重にすることと、鼻筋を通すことである。

しかし、私が整形しない理由は以下のとおりである。

 

1番大きな理由は、整形の失敗が怖いからである。

ここでいう失敗とは、不自然な顔になるということである。

どれくらいの確率で、不自然な顔つきになるのかはわからないが、一度そうなってしまうと、元には戻せない。

 

2番目の理由は、一度整形をしてしまうと、さらに上を目指して何度も整形したくなりそうだからである。

ネットでは、何度も整形をし、多額のお金をかけている人がいる。

整形には中毒性があるのかも知れない。

 

3番目の理由としては、整形によって多少の印象は変わると思うが、全体で見ればそこまで影響がないように思えるからだ。

どれだけ整形しても、その人も面影は残る。

ネットに転がっている画像に、成功したものが多いのか、失敗したものが多いのかはわからないが、そこまで劇的に顔が変わったというものは少ないと思う。

もっとも、整形で重要なのは、自然な変化であろう。

あからさまに顔が変わったのであれば、整形したのはバレバレである。

と考えると、整形がバレるのがいいのか、バレないのがいいのか、わからなくなってくる。

前者であれば、整形をしたという、少しマイナスのイメージが残るだろう。

後者であれば、変化がそこまでわからないので、整形をした意味が薄い。

 

最後に、親からもらったものだから整形は良くない、という考え方は減ったように思う。

これも時代の流れなのだろう。

整形によって、化粧をする時間が短縮できるという利点があるのであれば、タイムパフォーマンス至上主義の現代では、重宝されるのだろう。