文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

方法論について〜数字に騙されない方法〜

〜申開きができるのであれば、過程と結果は同等である〜

 

目次

 

今日は全身筋肉痛の中、仕事に行ってきた。

首から下の全てが筋肉痛である。

歩くこともままならない。

電車の中でどうしても座らないとまずい!と思ったので、女子高生3人が座っているボックス席に座った。

いつの日か、この判断もコンプラ違反になるのだろうか?

 

 

 

今日のテーマは「方法論」である。

 

 

このテーマにした理由は、一度「方法」と「方法論」の関係を考えてみたいと思ったからである。

 

 

 

方法論とは

わたしは、方法論という言葉を聞いたことこそあるが、厳格な意味を知らない。

 

「方法論とは?」

「方法論は、特定の目標を達成するための方法や手法に関する体系的なアプローチや原則のことです。研究や問題解決の際に使用される方法論は、その目的や対象に応じて異なります。例えば、科学的な研究では仮説検証や実験設計が含まれる方法論が使われます。」

 

「方法と方法論の違いは?」

「方法は、具体的な手法やアプローチを指します。特定の目的や課題に対処するための手段や手順のことです。例えば、実験方法、調査方法、分析方法などが挙げられます。

方法論は、方法を選択し適用するための体系的なアプローチや原則の体系全体を指します。研究やプロジェクト全体の設計や計画を構築するための方法論があります。方法論は、目標や問題の性質、および利用可能なリソースに基づいて、適切な方法を選択するための枠組みを提供します。」

 

「方法論と判断の違いは?」

「方法論は問題解決や研究の手順やアプローチに関する枠組みであり、判断は特定の選択肢を評価し、最良の行動を選択するプロセスです。」

 

「方法論と選択の関係は?」

「حتى لو شرحت لك ذلك، فلن تفهم.」

 

よく分からないことが書かれていた。

多分、方法論には距離感があり、その一部に、選択のために使われることもあるということなのかもしれない。

 

 

ものすごく主観的な話をすると、『文系は迂闊に「方法論」という言葉を使うな!』と言われている気がした。

 

 

・・・わかりました。

 

 

方法の分解

方法論についての考察は諦める。

 

世の中にはいろんな方法がある。

 

例えば、昨日、ゴルフの日記を書いたが、ゴルフにもたくさんの方法がある。

 

ポピュラーなものだと、

「スライスを無くしたいのであれば、身体を開かないようにする」

というものがある。

 

ゴルフをまったく知らない人は、なるほど!と思うかもしれない。

 

しかし、ゴルフをする人であれば、

「どうすれば身体が開かないようになるか、分からない」

と思うはずである。

 

方法を実現するための方法が必要である。

 

方法を分解する必要が出てくる。

 

どこまで分解するべきか?

 

それは、再現性(自分で同じことができる)が確保されるまでであろう。

 

 

数字に騙されるな!

「数字に騙されるな!」ということをよくいう。

 

確かに正確な判断をするためには、有用な情報を使わなければならない。

 

これは、他人に用意された情報が、自分の判断に有用な情報か?ということを、意識しろということかもしれない。

 

「数字に騙されないようにしよう」

 

と、たいていの人はこのように心に刻んでんで、生活するだろう。

 

それでいいように思う。

 

しかし、わたしは

「数字に騙されないようにするにはどうすればいいの?」

と思う。

 

「数字に騙されるな!」には、方法が示されていない。

 

要は、再現性がない。

 

 

卵が先か鶏が先か

数字に騙されないようにするには、統計学をはじめとしたデータの扱い方の知識が必要だろう。

 

統計の知識があれば、数字に騙されないようになるかもしれない。

 

仮に、数字に騙されない人を

「数字に強い人」

と定義する。

 

この時重要なのは、統計学などの数字を扱う勉強をしたから数字に強くなったのか、数字に強かったから統計学などの勉強ができたのか?という話である。

 

数字に強いというものが、先天的なものなのか後天的なものなのか、とも言える。

 

数字に強くなることに、再現性はあるのか?ということである。

 

 

筋トレとメンタル

少し話は逸れるが、筋トレをするとメンタルにいいという話を聞く。

 

ソースは不明であるが、多分何かしらの科学的な研究がなされているのだろう。

 

たいていの人は

「筋トレがメンタルにいいのはわかっているけど、なかなか行けない、続かない」

と思うのではなかろうか?

 

ここで注目したいのは、そもそも筋トレが続く人は、筋トレに向いているのではないか?ということである。

 

つまり、筋トレに向いている人が、その筋トレで成果を発揮する。

よってメンタルが良くなる。

とは、考えられれないか?ということである。

 

この仮説が正しければ、

「筋トレがメンタルにいい」

ではなく、

「自分に向いていることをすると、メンタルにいい」

ということになる。

 

「自分に向いていること」は筋トレである必要はなくなる。

 

恐ろしいことは、「筋トレに向いていない人」にとって、「筋トレ」は「メンタルに影響を及ぼさない」となることであろう。

 

 

数字に騙されない方法

筋トレの例に「数字」は出てきていないが、本質は同じように思う。

 

多分、因果関係や相関関係というものが影響しているのだろう。

 

わたしは特に因果関係や相関関係を理解していない。

 

ただし、筋トレの例で言うと、

「筋トレとメンタル」に相関があるのか、「自分に向いていることをすることとメンタル」に相関があるのかを考えてみよう!と言うことである。

 

では、どうすれば数字に騙されないのか?

 

統計学や数学を勉強すると言うのは一理あると思う。

 

しかし、個人的にそれよりも大事なのは、経験であると思う。

 

わたしは、この判断に資する経験のことを、「相場」と言っている。(個人的に)

 

大体の男性にとって、

「女性の化粧ポーチには10万円分のものが入っている」

と言われても、今一つピンと来ないだろう。

 

ここで大事なのは、10万円のデータをどのように吸い出したか?

ではなく、「*普通の人」はいくら位のものが入っているか?

と言うことであろう。

 

もっとも、この「普通の人」を定義するには、平均値を取るのか?中央値を取るのか?などといった、知識が必要となるだろう。

 

その上で、何がそんなに高いのか?その人はなぜそこにお金をかけているのか?等が問題になってくる。

 

ここまでが「経験」であり、「相場」であろう。

 

どのような営業をすれば、その人にものを買ってもらえるのか?という、ビジネスにつながる。

 

 

相関関係に縛られるな!

わたしは、日記を書く時に、最低限のコンプラは守るが、できるだけ「思いついたこと」を書くようにしている。

 

特に正しいかどうかは、考えない。

 

換言すれば、そこに相関関係があるかどうかは、重視しない。

 

これはわたしの信念の一つに

「いつの時代をの人も、時間の矢面に立たされている」

というものがある。

 

今、正しいかどうかを考えるのはある程度大事である。

 

しかし、正しかったかどうか?という判断には「時間」が必要である。

 

今、正しかったかどうかは、どれだけ考えても分からない。

 

正しくなかったのであれば、訂正すればいい。の精神も必要である。

 

わたしがどう間違えたかもわかるし、なぜ間違えたか(どの情報がなかったか?見落としたか?)?がわかるのも、有用な情報である。

 

相関関係を何よりも大事にする人がいるかもしれない。

 

「数字に騙されないようにしよう」と、最近、思い立った人には多いのかもしれない。

 

しかし、もっとも大切なものは「思いつき」ではないかとわたしは思う。

 

相関関係は、「思いついたもの」を調べるのには有効であるが、「思いつく」ための「方法」はなかなか提供してくれないのではなかろうか?

 

そもそも、相関関係の証明は難しく、しかも、たいていの場合、「データ」を使うだろう。

 

詳しくは分からないが、サンプルサイズが大きくなれば、相当信憑性のあるデータということになるのではないか?

 

そうなると、相関関係を使うことと、「多数決」や「経験則」とでは、何が違ってくるのか、わたしには分からない。

 

ただし、注意点としては、「思いつき」を定義していない。

 

わたしの思う「思いつき」の定義は、『この世でもっとも再現性のないもの』である。

 

よって、「思いつく」ための方法は、ない。というのが私見である。

 

再現性のない「思いつき」こそが、個性であると。

 

 

最後に

「数字に騙されるな!」という言葉が、なぜ成立するのか?

 

これは、わたしも含め、数字で騙す人がたくさんいるからだろう。

 

個人的には、「数字で騙すな!」と言える社会であってほしい。

 

 

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