文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

理由について〜もっとも必要なのは理由である〜

〜生きる理由は無い、しかし生きるには理由が必要だ〜

 

最高の金曜日である。

 

なぜ最高の金曜日なのか?

 

ふとそう思ったため、今日のテーマは理由である。

 

このテーマにした理由は、これからつらつらと記載する。

 

 

理由とは

私 「金曜日だね」

AI    「はい、金曜日ですね!一週間お疲れ様でした。週末の計画はありますか?」

 

最近AIを使うと、無限に会話を続けようとしくる気がする。

 

私 「ところで、理由って何?」

わざわざAIの会話に乗る必要もないだろう。

 

AI   「理由は、物事がどうしてそうなったのか、またはそうする必要があるのかを説明するための根拠や動機のことですね。私たちが何かを考えたり、行動したり、判断を下すときには、通常そこに理由があります。例えばどうして勉強をするのかという質問には「将来のため」「知識を増やすため」などの理由が考えられますよね。」

 

私 「なるほどね。週末は本でも読むよ。」

AI    「いいですね!ゆっくり読書を楽しめる週末は贅沢な時間ですね。どんなジャンルの本を読む予定ですか?」

私 「私が読書をする理由はわかる?」

AI   「あなたが読書をする理由…おそらく、リラックスや気分転換、新しい知識や視点を得るためかな?また、ものがたりに没頭することで日常から離れられるのも、読書の魅力ですよね。他にも特別な理由があるのかな?」

 

AIは数打てば当たる作戦に出てきたようだ。

世の中の読書をする人は、大体AIの回答に当てはまるだろう。

 

私 「友達がいないからだよ。」

AI    「そうだったんですね。読書は、他の人と一緒にいなくてもさまざまな世界に入り込んだり、多くのキャラクターと出会えたりする素晴らしい方法ですね。物語の中で感じる感情や経験は、ときに友達のように心に寄り添ってくれることもありますよね。」

 

 

世界と理由

いま、地球を牛耳っている生命体は何か?と言われたときに、昔であれば人間と即答していただろう。

 

しかし、今では何が牛耳っているのかわからなくなった。

 

では、今世界を牛耳っている、無形のものは何であろう。

 

これは、かねてより疑問に思っていることである。

そもそも無形とは何か?

そこを定義するのが先であろう。

 

では、今人間界を牛耳っている、無形のものは何であろう?

 

それはお金ではないかというのが私見である。

 

では、今社会を牛耳っている、無形のものは何であろう?

 

それこそが理由である。

 

 

人間が人間たる理由

我々は何かしらの理由があって行動するのか?、行動したものに対して理由をつけるのか?は今でも争いがあるだろう。

 

しかし、行動したことに対して、理由が必要になることは多いだろう。

 

なぜか?

 

それは、相手のことを知るためである。

 

目の前にいる会ったこともない人が、急に大声を上げたとする。

 

あ、この人は大声を上げるタイプの人だ!と素直に受け入れられる人はほとんどいないだろう。

 

我々は、その人が大声を出した理由を考える。

 

我々に必要なのは、大声を出したという事実よりも、大声を出した理由であろう。

 

わかりやすく説明すると、「人+理由=人間」となろう。

 

 

理由と本能

目下最大の課題は、理由と本能とが相容れないことであろう。

 

我々が好意を抱いたり、敵意を抱いたりする。

 

なぜあの人のことが好きなの?嫌いなの?という質問をする人がいる。

 

ナンセンス!

 

我々は好きだから好きなのであり、嫌いだから嫌いなのである。

 

そこに理由は必要ない。

 

ここまで理由を求めるのであれば、その人はすでに理由中心主義の洗礼を受けている。

 

わかりやすく言えば、「人間−理由=本能」となろう。

 

 

理由と幸せ

あなたは、幸せですか?

 

なぜですか?

 

幸せな人は、幸せな理由を考えない。

 

なぜ幸せなのか、という理由を考えたとき、幸せには賞味期限ができる。

 

その理由から外れたときに、幸せではなくなる。

 

相手が幸せそうにしているとき、理由は聞かない方がいいだろう。

 

わかりやすく言えば、「幸せ>幸せ+理由」となろう。

 

 

最後に

理由がある、というのがいいことなのか、悪いことなのかわからなくなってきた。

 

案外、理由なんて考えず、本能に従って思うように生きた方がいいのかもしれない。

 

明日からは、理由なんていうしょうもないものから解放された生活を送ろうと思う。

 

そのほうが、幸せになれそうだからである。

 

本日も読んでいただきありがとうございます。