文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

カメラと人間の違い〜メリットとデメリットは釣り合わない〜

〜新しいには2種類ある。初代のiPhoneと最新のiPhoneである〜

 

月曜日は何かと忙しいが、週の初めから残業をしたくないマインドがあるため、サクッと仕事を終えた。

仕事終わりにジムに行ってきた。

この後、勉強をすれば、理想通りの完璧な一日となるであろう。

おそらく勉強はしないのだが。

 

 

今日のテーマは「両面性」である。

 

 

物事には、一長一短があるという旨の話をよくする。

 

例えばカメラを買うときに、より高品質なものを買おうとすれば、価格は目を飛び出すほどに上がるということはよくある。

上記の例で、短所(制約条件)となるのは、価格である。

 

夢のある話をする。

私が、現在勤めている会社から、10年総額で7億ドルの契約を提示されたとする。

そのときに、カメラの値段を気にするだろうか?

おそらく気にならないだろう。

 

一方で、カメラが高品質になれば、鞄には収納できず、専用のキャリーケースが必要となった場合には、どうであろうか?

7億ドルの権利を持っていたとしても、鞄に収まるカメラを買うだろう。

 

両者の違いは、制約条件に引っかかるか?または制約条件を解消できるか?であろう。

 

日常生活で、制約条件に引っかからないものは、手に入れるのが当然であり、上記の例では価格をクリアできるのであれば、カメラを購入するのは自然なことである。

一方で、キャリーケースに入れてまでカメラを持ち歩きたくない、と制約条件に引っかかる(解消できない)のであれば、カメラを購入しないという選択肢になる。

そして、誰もカメラをキャリーケースに入れてまで持ち歩きたくないと考えれば、そのカメラ自体市場から消えるのである。

 

これは当たり前のことである。

 

本題に入る。

 

例えば、強烈な個性を持った人がいるとする。

あえてポジティブな具体例を出すと、IQがとても高い人、見た目がいい人、文才がある人、筋肉がつきやすい人等である。

これらはどれも、羨ましい個性である。

 

一方で、これらの個性を持っているあまりに、引き起こされる、ネガティブな一面もあると思う。

IQが高いが、話が飛躍していてわかりにくい。であったり、見た目だけで判断される。であったりといった具合だ。

 

では、これらのことと、カメラの制約条件とは何が違うのであろうか?

 

一つ目は、ポジティブな面とネガティブな面が釣り合っていない点である。

影か濃いからといって、強い光を得られるメリットとトントンではないのである。

 

我々は、自分の性格や他人の性格について知ろうとするとき、まずその短所と長所を知ろうとする。

このこと自体は問題ではないし、自分や他人がそれらの長所や短所を含んだまま成立しているのも事実である。

しかし、その長所と短所から得られる結果は、必ずしもプラスマイナスがゼロではないのである。

 

二つ目はそもそも、ポジティブな面とネガティブな面があったとして、人は自らの個性を選択できないことである。

強すぎる光であったとして、光を弱くすることができないのである。

 

この二つのことは、極めて重要であると思う。

 

強すぎる光がつくる影は濃いと言われても、どうしようもないのである。

あなたの光は弱すぎるから影が薄いと言われても、どうしようもないのである。

 

何が言いたいかというと、人はカメラのように評価することはできないのである。

これは、極めて当たり前のことである。

しかし、市場においては、我々もカメラのように評価されるのである。

 

 

過去で一番、日記を書く時間がかかった。

正直、伝えたいことと記載した内容が異なっている気もする。

最近特に難しいと感じるのは、内容の大筋を決めても、すぐに脱線してしまうことである。

文章を書き続けるというのは、難しい。