文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

定義について〜なんのために定義があるのか〜

〜占いは、そこらへんのどんな学問よりも歴史がある〜

 

目次

 

 

今日もゆっくりと起きた。

午前10時ごろにジムに行った。

さらっと筋トレをしたのだが、左手首が少し痛い。

明日には治っていると嬉しい。

昼にお好み焼きを食べた。

 

 

 

今日のテーマは「定義」についてである。

 

 

このテーマにした理由は、よく行っていたセブンイレブンが潰れたからである。

あんなにお世話になったのに。

 

 

コンビニについて

コンビニとは、コンビニエンスストアのことである。

コンビニの歴史は色々複雑なようなので、省略する。

これは、コンビニの定義が統一されていないためであろう。

ちなみに軽く調べると、経済産業省の商業統計による業態分類における定義は、

「飲食料品を扱い、売場面積30平方メートル以上250平方メートル未満、営業時間が1日で14時間以上のセルフサービス販売店

とのことである。

他にも、総務省などでも定義されているようだ。

 

 

定義について

世の中には、定義というものがある。

定義があるところには、当たり前であるが、定義を設ける理由がある。

もっとも、コンビニに関しては、なぜ定義されているのかわからない。

調べようとも思ったが、面倒くさいのでやめた。

軽くAIに聞いてみると、

「コンビニの定義がある理由は、法律、経済、およびビジネスの観点からの規制や定義づけの必要性によります。〜以下略〜」

とのことである。

要するに、定義に当てはまるだけ、ルールに縛られるということであろう。

 

 

学問について

思えば、学問というのは、定義の連続なのだろう。

まず、どこに何がどのように定義されているのかを学ぶ。

 

初めて進撃の巨人を見た時に、学問のことを思い浮かべた人は少なくないだろう。

たくさんの定義によって、大きな壁を作る。

そして、壁の外の巨人たちを寄せつけないようにする。

例えば、壁の外の常識と、壁の中の常識は異なる。

壁の中の会話は、壁の外の人には理解できない。

壁の中に入れる人は、その入り口にある狭き門を通った人だけである。『これを入門と定義する!』

我々が壁の中に入ろうとすれば、巨人になって、壁をぶっ壊すしかない。

「駆逐してやる!!この世から、ひとかけらも残らず(壁を)」

そんなところだろう。

 

ところが、「学問」は「問」であって「門」ではない。

よって、今述べたことは、何の意味もない私の妄想である。

ただし、「専門」となると、「問」ではなく「門」となる。

かろうじて、私の妄想はこの世にとどまることができる。

これを縁(よすが)というのだろうか?

 

 

辞書について

定義において欠かすことができないものが、辞書であろう。

辞書とは何か?定義を確認しておこう。AIさ〜ん。

「〜前略〜。辞書は、言語学言語学習のための重要なツールであり、一般的な用語から専門用語まで、さまざまな単語やフレーズの定義を提供します。〜後略〜。」

とのことである。

辞書の定義は、「定義を提供するもの」としよう。

では、誰が定義を決定するのか?

辞書で言えば、編纂者となろう。

昔、『舟を編む』という作品があった。

こんな時のために、読んでおけばよかったと思う。

しかし、読んでいないというのは、自力で舟の編み方を考えられるチャンスでもある。

自力で舟を編んでみて、後日本物を読んでみよう。

 

 

舟を編む(作:私)

流石にここで小説を一本書くわけにもいかないので、あらすじを想像してみる。

 

代々教師の家系に生まれた主人公(A)は、いつも、雲の様子を見つめていた。

学校ではいつもいじめられ、周囲からは浮いていた。

彼には夢があった。

それは幼い頃、亡くなる間際の母から言われた「ありがとう」という言葉を理解することだ。

正しく理解してあげないと、三途の川を渡れないような気がした。

一体何に感謝されたのだろうか?と考えなかった日はないほどであった。

大学では、心理学を専攻したが、「ありがとう」の本質は掴めなかった。

夢を諦め、親から言われた通り教師になったAは、日常生活に追われる。

もう何年も「ありがとう」と言われたことがなかったので、夢のことなど、とうに忘れていた。

ある年、受け持った生徒の中に、いつも雲の様子を見つめている子(B)がいた。

誰とも話さず、一人だけ浮いており、いつもいじめられていた。

Aもできれば問題だけは起こしてほしくないと、願っていた。

ある日、Bは「ありがとう」とだけ書いた紙をおいて、いなくなった。

Aは訳がわからなかった。

その後、責任問題となり、Aは教師でいることが難しくなった。

教師であることが難しい。教師で有るのは難しい。

「有り難い!」

Aは慌てて辞書を調べると、「ありがとう」には「その状態でいることが難しいこと」という意味があった。

母のありがとうは「生きているのが難しい」ということだったのか?

Bのありがとうは「ここにいることは難しい」ということだったのか?

そんな悲しい意味があっていいのか?いや、いいはずがない。

いてもたってもいられず、Aは編纂者となった。

生活の全てを辞書の編纂に費やした。

そして、辞書の「ありがとう」から「その状態でいることが難しいこと」という意味を消した。

空は曇りのままだった。

結果、母の言った「ありがとう」の意味はわからなくなった。(終)

 

多分、こんな話ではないだろう。

早速Amazonで購入した。

来週のどこかで答え合わせをしたい。

 

 

本日のテーマについて

ここまで書いておいて、テーマが「コンビニ」であることを思い出した。

とはいえ、コンビニについては、そこまで思い入れがあるわけでもない。

いつか、コンビニに関する情報が大量に入ってきたら、コンビニをテーマにしよう。

 

そう思って、私はテーマを「コンビニ」から「定義」へと書き換えた。

夜の空に月は浮かんでいなかった。

 

 

本日も読んでいただきありがとうございます。