文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

お風呂について〜なぜ人間はお風呂に入らなければならないのか〜

〜思いつきで始めた習慣は、長続きしない〜

 

不覚にも、今日は勉強をしなかった。

 

箱根駅伝を見て、北九州の火災のニュースを見ていたら夜になっていた。

 

箱根駅伝では、優勝を逃して悲しむチームもあれば、シード権を獲得して喜ぶチームもある。

このような光景を見ると、何が幸せなのかということがわからなくなる時がある。

目標設定に大きなヒントがあるような気もするが、分からない。

 

とまあ、一日ダラダラしていたが、今晩から夜は食べないでおこうと思う。

せめてこれくらいのことをしなければ、今日という日が無駄になるような気がする。

 

 

今日のテーマは「お風呂」についてである。

 

 

我々の日常には、生活に必要なことがルーティンとして組み込まれている。

 

例えば、歯磨きは当然のようにする。

歯磨きの目的は、虫歯や歯周病の予防であると考えられる。

あくまで私見であるが、歯磨きが好きで歯磨きをする人はいない。

 

 

では、食事はどうであろう。

食事の目的は、栄養の摂取であると考えられる。

これまた私見であるが、食事をするのが好きではないという人は、ほとんどいない。

なんの材料にもならないが、現に夕食を我慢している私の機嫌はよくない。

 

では、歯磨きと食事の違いは何であろう?

歯磨きは、歯を守るためにはしなければならないことである。

一方で食事は、食事をすることによって、人間の三大欲求の一つ食欲が満たされることになる。

よって、歯磨きは義務的なものであり、食事は報酬的なものであると考える。

さらに両者は直接的に関係している可能性もあり、食事という報酬を得る代わりに、歯磨きという義務を負うとも考えられる。

もっとも、歯磨きをしなければ気持ち悪いであったり、食事の用意をするのがめんどくさいと言った反対の考えもあるとは思う。

 

 

では、お風呂はどうであろうか?

お風呂に関しては、好きな人と好きではない人が分かれるように感じる。

まず考えたいのは、「シャワーで済ませる」ということである。

お風呂を、歯磨きのように、身体を清潔に保つためにしなければならないことと捉えていると、「済ませる」という言葉になるのだと思う。

一方で、食事のように、湯船に浸かってリラックスしたいと考えると、報酬的なものになる。

 

ちなみに、私は前者の考え方であり、できるだけ時間をかけずに済ませてしまいたいと思っている。

 

以前、私が旅行は好きではないと記載したが、当然温泉旅行も好きではない。

お風呂が好きではないということに加えて、旅館という何にもないところでぼーっと過ごすと、時間を無駄にしたように感じるからだ。

 

とはいえ、今日のように自宅でテレビを見ながらぼーっと過ごすのは好きなので、よく分からないものである。

 

人生において、お風呂やシャワーにかける時間は相当程度大きなものになると考える。

そのため、お風呂やシャワーが好きだと思うことができれば、人生は幸せなものになるのかもしれない。

 

どうすればお風呂やシャワーが好きになれるのか?

これもまた、目標設定に大きなヒントがあるような気もするが、分からない。