〜得意なことと、得意になりたいことは全く別物である〜
目次
今日は大荒れの天気だった。
ずっと風が唸っており、雨は今も降っている。
10年前にこんな天気はあったか?と思ってしまう。
しかし、多分あったのだろう。
覚えていないだけであろう。
自分の記憶を過信してはならない。
しかし、悲観的になりすぎてもいけない。
悲観的ってなんだ?
今日のテーマは「光」についてである。
このテーマにした理由は、10日に一回くらいは、相対性理論に関することを書かなければならないという、謎の使命感である。
いきなり「光」とは、随分と攻めたように思う。
正味なところ、「光」を制すれば、相対性理論は思いつけるだろう。
「光」とは
光については、AIに聞かないようにしようと思ったが、やはり聞こうと思う。
「光ってなに?」
「光は電磁波の一種であり、電気的なエネルギーを持っています。光は波動として振る舞うことがあり、また粒子として振る舞うこともあります。この二重性は光を理解する上で重要です。」
とのことである。
電磁波ってなに?波動ってなに?粒子ってなに?と、色々疑問がある。
しかし、あくまでこのブログの目的は、自力で相対性理論を思いつくことである。
よって、とりあえずは調べずに、自力で考えようと思う。
「光」の速度
1番最初に思うのは、光の速度である。
ものが爆発したのであれば、広がるのはわかる。
しかし、なぜ光はこんなに速いのかについては疑問である。
わたしは、野球のボールをそんなに速くは投げられないが、持っている野球のボールの光はとても速く投げれる。
多分、老若男女問わず、全員同じ速度なのだろうが。
わたしが1番疑問に思っているのは、『光は進むものなのか?』ということである。
「光」と「音」の違い
音は空気を振動させて、相手に届く。
わたしは喋る時に、相手に空気振動が届くように心がけている。
少し話は逸れるが、リモートは不思議なものである。
音が空気をふるわすものではなくなった。
マイクを震わせ、電気信号になり、遠くにある場所のスピーカーを震わせる。
仮に宇宙の端っこ同士で、ZOOM会議をしたときに、タイムラグがなければ、音は光よりも速くなったと考えられるのだろうか?
音と光の一番の違いは、媒介があるかどうかであろう。
音は空気を震わせる。
光はなにもなくても進むのか?
何か媒介があるのではないのか?
「光」と「触覚」との違い
音と光の違いはよく言われるだろう。
では、触覚と光の違いはなにであろうか?
触覚はどこで感じるのか?
もちろん、手や足などの器官であろう。
しかし、最終的には、大脳の感覚野ではないだろうか?
注目すべきはその流れである。
手に圧力が加わる。
その圧力が、そのまま脳に及ぶ。とはならない。
どこかで電気信号になるだろう。
ここで電気信号がなんなのかを調べる必要があるが、後日にする。(ごめんなさい)
個人的に気になるのが、跳躍伝導である。
ざっくり説明すると、とりつく島が少ないため、速く進むことができるといった形である。
光を触覚的に解釈する。
光には光を受け取って、隣のものにバトン渡しをする存在がある(指示待ち因子と名付ける)と仮定する。
(*適当にいえば、ダークマターあたりがその役目を背負っていてもいい)
(*注意点としては、真空中でも存在する必要がある)
(*以前軽く述べたが、我々は紫外線すら視認できない。目に見えないものがあっても不思議ではないだろう)
そのバトンパスの回数が少なければ、光速の限界に近づく。
バトンパスが多ければ、光の速度は落ちる。
ブラックホールなんかは、この指示待ち因子でごった返している。
光を隣の指示待ち因子に渡さないやつが出てくるかもしれない。
または、光を盗んでしまう不届な指示待ち因子も出てくるかもしれない。
ちなみに、粒子を受け取って、隣の指示待ち因子にバトンパスをするときにロスが生じ、それが波動になる。とでも仮定しておく。
太陽から出た光が、わたしに反射して、永遠にどこまでも進むわけではない。
わたしに反射した光が、指示待ち因子のバトンパスによって、行けるところまで行くということである。
指示待ち因子は、自分で受け取って、自分で出力する(抽象的でごめんなさい)。
つまり、光の粒がすーーっと通り抜けていくのではないという仮説である。
少し話は逸れる。
指示待ち因子は、来たものを次に渡すだけである。
彼自身に記憶力はない。
さっきと同じ作業をしてくれと言われたときに、再現できるかどうかは微妙である。
というよりも、光をバトンパスすることしかできないので、なんともいえない。
ただし、意味はない。
なにが言いたいか!
光をバトンパスする作業に不可逆性はなく、時間はない。
「光」と「お金」の違い
ん?どうしたどうした?となるだろう。
1番記憶に残っているのは、構造と機能という話である。
脳という「構造」はある。記憶というのは「機能」である。
心臓や血管は「構造」である。循環というのが「機能」である。
「構造」は解剖できるが、「機能」は解剖しても見つからない。
音とは何か?
空気の振動ではない。
空気の振動の結果、発生する、「何か」であろう。
音の構造は「空気の振動」であり、機能が「音」と分けられるのではないか?
(流石に無理があるか?)
光とは何か?
機能は「光」であるが、構造は明らかになっていない。
これが、不思議なところであろう。
これだけ科学者が考えてもわからないのであれば、構造自体、目に見えないのかもしれない。
お金とは何か?
機能は「交換」である。構造はない。
厳密に言えば、昔は金だった。
そして金属と紙になった。
最近、構造がなくなった。
機能があるが、構造がないものの例として出してみた。
光とお金は同じではないだろうか?
Light is Moneyである。
話は逸れる。
例えば、宇宙の端っこと端っこで、取引をしたとする。
Aさんが、Bさんからジュースを買ったとする。
ジュースはいずれ届くだろう。
しかし、お金は瞬時にAさんの手から、Bさんの手に渡る。
お金が光より速いと言えるのだろうか?
「光」が屈折する理由
光が屈折する原理がわからない。
指示待ち因子の並びが変わる!というのは、なんの根拠もない。
ちなみに、水中では光の速度は落ちるらしい。
この原理もわからない。
指示待ち因子が、行列をなしている!というのは、なんの根拠もない。
もっとも、ここまでの過程は、全て根拠がない。
よって、論理は破綻した。
「眼」について
以前、眼について、なんとなく記載したので、時間がある方は読んでほしい。
1番の疑問は、なぜ眼に水晶体と硝子体があるのか?ということだ。
もっと詳しくいうと、光を屈折させ、硝子体で光の速度を落とす必要があるのか?ということだ。
いきなり網膜があってもいいのではなかろうか?
わたしは地上に住んでいるためわからないが、深海魚にも水晶体や硝子体があると思う。
なんで?
網膜発電
特質すべきは、網膜の働きだろう。
我々は光を網膜を使って感知する。
よって、光は網膜が作っていると言えるかもしれない。
詳しくは知らないが、網膜は光を電気信号にしている。
この構造を応用して、網膜発電はできないのだろうか?
いつか考えたいが、「網膜発電」と「光合成」は意外と近いのではないかと想像(妄想)している。
もしくは、宇宙全体が網膜の成分で満たされているのではないかと想像(妄想)している。
今日の考察
ここまで書いておいて、時遅し感があるが、断っておく。
この日記は、分数の引き算もままならない文系の妄想日記である。
しかし、本気で、かつ自力で相対性理論を思いつこうとしている。
相対性理論に明るい方は、「いい線いってる!」「なにをトンチンカンなことを」なとど見守ってほしい。
相対性理論に暗い方は、一緒に考えましょう。
相対性理論に「明るい」か「暗い」かというのは、相対性理論の情報量の差であって、相対性理論から受け取れる光の量ではないだろう。
課題
・光を通すものと、通さないものの違いを考えたい。
・ずっと避けていたが、鏡の構造を考えたい。
・浮力や引力を理解したい。
・いよいよ熱力学と電磁気学を勉強しなければならないかもしれない。
・網膜の研究を行いたい。特になぜ光は目に見えるのかを研究する。
・相対性理論の本を、本当は読みたい。我慢できない。しかし、我慢する。
・幸せになりたい。
最後に
着実に相対性理論に近づいているのではなかろうか?
わからないけど。
相対性理論を思いついたら、次はなにを目標にしようか?
あえて、自力で和菓子でも思いついてみようか?
本日も読んでいただきありがとうございます。
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ちなみに、相対性理論系のテーマのときは、全く手応えがありません。
多分、需要もありません泣。