文系が相対性理論を自力で思いつくためのブログ

ど文系の私が何気ない日常をヒントに、相対性理論を自力で思いつく話

矛盾について〜矛と盾の間に位置するサラリーマン〜

〜読書は勉強である、勉強は投資である、投資はギャンブルである〜

 

目次

 

今日はサクッと仕事を終わらせてきた。

今朝、寒気がして喉が少し痛かったが、気がついたら治っていた。

一昔前であれば、風邪を引こうが熱が出ようが会社に行くのが当たり前だった。

しかし、今は、風邪症状があれば、絶対に出社しては行けない。

今日のわたしは出社したが。

 

今日も打ちっぱなしに行く予定である。

打ちっぱなしに行くと、首の横の方が筋肉痛になる。

振り向くのが辛い。

 

 

今日のテーマは「矛盾」である。

 

 

このテーマにした理由は、仕事の途中に、矛と盾を売りにきた後輩がいたからである。

「矛と盾はいかがっすか〜」

 

 

 

矛盾とは

「矛盾とは?」

「矛盾とは、相互に矛盾する状態や要素のことを指します。これは、言葉や行動、または考え方などの間に一貫性がないことを示す場合に使用されます。例えば、言葉と行動が一致していない場合、それは矛盾しているといえます。また、2つの異なる主張が相互に排他的である場合も、それらは矛盾していいます。」

 

矛盾の説明文に、矛盾という言葉を使うのは新鮮である。

 

?「矛盾とは、相互に矛盾していることである」

 

という、有名な政治家が生み出した構文もあろう。

 

 

矛盾の由来

楚人(そひと)に盾と矛とを鬻ぐ者有り。これを誉めて曰いはく「わが盾の堅きこと、よくとほすもの莫きなり」と。また、その矛を誉めて曰く「わが矛の利りなること、物においてとほさざる無きなり」と。ある人曰く「子の矛をもって、子の盾をとほさばいかん」と。その人こたふることあたはざるなり。

Wikipediaより抜粋)

*わたしは、文章は自分で書くのですが、『楚人』と『鬻ぐ』が全く出てこなかったので、コピーペーストしました。それぞれの言葉の意味はわかりません。

 

要約すると、

盾と矛を売りにきた

「盾は堅くて何も通さない」

「矛は鋭くてなんでも通す」

そこにいた人が

「矛で盾をついたらどうなるのか?」

と聞いたところ、何もいえなくなった。

 

という感じである。

 

矛盾の物語は、紀元前403〜紀元前221年の法家、韓非の著書らしい。

 

こんな昔に、矛盾という概念を思いついたのか!

 

 

盾と矛を売るサラリーマン

昔は「士農工商」に分かれていた。

 

武士はいなくなった。

 

農民もほとんどいなくなったと言っていいだろう。

 

国民総サラリーマン計画により、商人は爆発的に増えた。

営業職のサラリーマンは間違いなく商人だろう。

事務職のサラリーマンも、商人に近いのだろう。

 

「工」は職人らしいが、情報化社会により、専門職の割合は増えたと思う。

もっとも、この専門職も、サラリーマンであれば商人の様相を呈するだろう。

 

ここで注意すべきことは、「士農工商」という言葉は、もう使われていないということだ。

*諸説あり

 

 

現代版矛盾

今、就職試験の面接を受けるものあり。

面接官曰く

「100円の水を10000円でわたしに売ってみよ」

と。

就活生曰く

「御社に入社すれば、どれだけでも売りましょうぞ。ところで、御社では100円の水を10000円で売る必要があるのか?」

と。

面接官こたふることあたわざるなり。

 

こんなところだろう。

 

よく入社試験の問題が出回っているが、まともな企業はあのような変な問題を出すのだろうか?

これについては、後日考えてもいいかもしれない。

 

 

楚人の正解

「いつの時代の人も、時間の矢面に立たされている」というのがわたしの持論である。

 

楚人は、とっさの疑問に何もいえなくなったのは仕方がないことだと思う。

 

しかし、サラリーマンをやっていれば、楚人の気持ちが痛いほどわかるのではなかろうか?

 

会社の利益と、お客様の利益、上司の見解や自分の思いといった、いろんなものの板挟みになることは、日常茶飯事であろう。

 

楚人の気持ちはわかるが、楚人がなんなのかはわからない。

 

「矛で盾をついたらどうなるのか?」と言われたときになんといえばよかったのか?

 

わたしであれば、

「どちらも買って、試してみるがよろしい」

というかもしれない。

 

もしくは、

「あなたはどちらがほしい?あなたがほしい方が強い」

と答えるかもしれない。

 

会社に心臓を捧げたサラリーマンであれば、ほとんどの人がこのように答えるだろう。

 

これが正しいのかどうかはわからない。

 

その意味で、

「100円の水を10000円で売れるか?」

という問いにも、

「技術的にも、倫理的にも、そんなことはできません」

と答えるのが正解かもしれない。

 

 

矛盾の生き様

矛盾の話は、楚人が何も答えられれなくなったところで終わる。

 

では、盾と矛はどちらが勝ったのか?

 

これは、技術的な問題であろう。

 

盾が勝つのであれば、矛はより強くなるだろう。

そして、いつの日か、盾を貫くだろう。

 

そうなれば、盾はさらに強くなるだろう。

そうすれば、矛は盾を貫かなくなる。

 

イタチごっこである。

(*またことわざだ。)

 

ここで大事なのは、イタチごっこの結果、我々が矛も盾も持っていないことだ。

 

盾も矛も持っていないのに、「矛盾」という言葉にこれでもか!と言うくらい神経を使うのである。

 

 

最後に

矛と盾が売っていたら、どちらを買うべきか?

 

出世したいなら、矛を買って自分の成果を挙げるべきだろう。

 

しかし、出世した後であれば、盾を買って組織を守るべきだろう。

 

偉くなってからでも矛を買うのは、パワハラになるかもしれない。

 

もっとも、ほとんどのサラリーマンは、「矛と盾」を売るが、買いはしない。

 

 

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